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二つの言語と民族

 ベルギーは、もともとフランス語とオランダ語が公用語となっている。ということは、オランダ系(ゲルマン)とフランス系(ラテン)の住民がいるということ。したがって、気質も体質も違うが、ベルギーの選手は、長身、あるいは頑健なフランダース人が多いようだ。といって、シーフォのような若い柔らかいプレーヤーが登場してくると、そうしたタイプを加えて、新しい面を開こうとする余裕を持っている。

 84年の欧州選手権で、ベテランたちが18歳のシーフォに中盤でボールを渡し、彼が長いパスを出すのを見たときには、いささか驚いたものだ。中長距離のパスの能力は、18歳でも当然あるわけだから、その能力のある者に仕事を任せたのだろうが、日本ではそうあっさり割り切れるだろうか。

 ゲルマンとラテンの接点は、ある意味では抗争の場でもあるが、見方を変えれば、それだけ欧州の中心部といえる。ベルギーの首都ブリュッセルから見ると、南310キロにパリ、東240キロに西ドイツのケルン、海を隔てた230キロの西南にロンドンがある。

 ラテンのフランス語とドイツ語に近いオランダ語に幼いうちから馴染めば、他の言語の習塾も早い。勢い考え方は国際的になる。1904年に国際サッカー連盟(FIFA)を創設するとき、フランスとともに努力したのがベルギーのサッカー協会。そうした国際性と地理的な環境で、ブリュッセルがEC(欧州共同体)本部、NATO(北大西洋条約機構)をはじめ、多くの国際機関の所在地となっている。国際協力なしでは、いまのヨーロッパが立ちゆかぬことは、1830年の独立以後、二つの言語の問題による抗争から、調和と協力への道を見つけることで、国を繁栄させると肌で感じた住民が、一番よく知っているハズだ。

 アンデルレヒトのカップ・ウィナーズ・カップ制覇(1976年)以来、クラブ・ブルージュ、スタンダード・リエージュ、KVメケレンなど、ベルギーのクラブチームが欧州の舞台でも活躍するようになった。もちろん、早くから西ドイツやオランダで働き、あるいはアメリカでもプレーする者もいる。それぞれの地域やホーム・チームで磨いた技術が、彼らの柔軟な思考で整理、精選され、自分たちの力と個性にあわせてチームを組み立てる。

 1990年のイタリアW杯までに、どのような選手が育ち、ベテランの誰と誰がコンディションを維持するかは、いまのところよくわからないが、この国の人たちは、持って生まれた身体の強さと「ダビデのような賢明さ」で、イタリア大会でも話題になるチームを送り込んでくるに違いない。

 人口1000万人の国、登録サッカー人口が日本の半分より少ない国のチームづくりを、わたくしたちも参考にしたい。


(サッカーダイジェスト 1989年11月号「蹴球その国・人・歩」)

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