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登録制度の大改革、年齢別区分と個人登録。JFA財政建て直しを指導した第5代JFA会長 平井富三郎(下)

年齢別登録へ

 平井富三郎さん(1906〜2003年)が日本サッカー協会(JFA)の第5代会長を務めた1976年(昭和51年)から87年の10年余りは、メディアからみれば、日本代表チームの国際舞台での不振で低迷期、停滞期といわれていた。65年にスタートした企業チームの全国リーグ、日本サッカーリーグ(JSL)は1部制から2部制となって、下部に地域リーグを持つ全国のトップリーグとしての形を整え、東京オリンピックの直後からスタートした少年サッカーの全国への浸透はとどまることなく、また、FIFAコーチングコース(69年)をきっかけとする指導者育成組織の活動も軌道に乗っていた。
 こうした地道な努力はあっても、国際舞台で日本代表チームが勝てなければ華やかさに欠け、メディアは低迷するサッカー界、停滞期の日本サッカーなどといい、オリンピックやワールドカップのアジア予選での相次ぐ敗退に失望感をあらわにしていた。

 そのいわば冬の時期に、JFAはさまざまな手を打ったが、なかでも最も注目すべきは登録制度の改革だった。
 JFA加盟団体の47都道府県のサッカー協会に登録されているチームを、これまで社会人、大学といった社会的身分による区分ではなく、以下のように分けた。
 *第1種 年齢を制限しない選手によって構成される団体(チーム)
 *第2種 18歳未満の選手によって構成される団体(チーム)
 *第3種 15歳未満の選手によって構成される団体(チーム)
 *第4種 12歳未満の選手によって構成される団体(チーム)
 というように年齢別に分け、さらに女子(のちに女子も年齢別に区分する)を加えた。この年齢別登録からさらに一歩進めて、登録費をチーム単位だけでなく、それぞれのチームの選手個人からも納めさせることにした。


収支を黒字に

 年齢別区分はヨーロッパなどでは古くから行なわれていた。JFAでは長沼健専務理事(故人)、平木隆三理事(故人)たちが中心となってこの案を検討し、実施に踏み切った。チーム登録費とは別に、選手個人の登録費を徴収する案については、長沼専務理事が全国を回って意見を聞いた。
 この登録制度を改革したのは、「スポーツをするのに社会的身分(サラリーマンとか学生とかいう)によって区別すべきではない」といった基本的な考え方と、納得のいく加盟登録費を集めることで、JFAも都道府県協会も、それぞれ協会運営の固定費(一般管理費)に充当し、財政を安定させようという狙いがあった。

 1978年(昭和53年)から実施された登録費の一例を挙げると、第1種は1チーム5000円、選手個人1500円、第2種(高校チームも含む)は1チーム1500円、選手個人500円となっている。
 この78年度のJFAの決算書を見ると、会費収入(登録費)は5975万円余となっている。このときの支出の部での一般管理費、6253万円余にほぼ匹敵する金額だから、登録費でほぼ協会の固定費の80パーセントをまかない、財政を安定させて、国際試合をはじめ事業費の収入によって、収支を黒字にしていきたいという考え方が成功したことを示している。

 このころの選手の登録数を見ると、1種3663チーム、7万4668人、2種3010チーム、8万3740人、3種3082チーム、4万5741人、4種3150チーム、6万8750人、5種(女子)52チーム、979人、合計1万2957チーム、27万3878人(79年、『サッカーニュース』No.10による)。
 都道府県協会にとっては登録団体や選手数が増えることは、自らも分担金(登録料)が増加し、財政がよくなることになる。83年の登録数を見れば、たとえば愛知の第1種は136が142チームに、第2種は249が263チームとなっている。チームが増えれば選手数も増える。85年には1万8000チーム(53万6000人)、97年には2万1000チーム(65万9000人)と増え、現在(2008年)は2万8990チーム(88万9288人)に至っている。
 98年(平成5年)のJリーグ創設、02年のワールドカップ開催などによって、日本サッカーは当時には想像もつかなかった規模となったが、停滞期に打った布石は見事に生きている。


(月刊グラン2009年9月号 No.186)

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