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釜本邦茂(15)メキシコ五輪第3戦「点を入れたらアカン」シュートを外して○印のサイン

 2月11日の対オーストラリアはとても面白い試合だった。岡田武史監督といまの代表メンバーが、日本流ランプレーの上に自分たちのスタイルを築いて、こういう緊迫した試合で発揮できるようになったのを見たのは、とても嬉しいことだ。
 0−0でなく、日本に得点があれば、さらに良かったのだが、むしろ、私は6万5,000人余りの入場者、視聴率20%を超える多数のテレビ観戦の中におられたはずの全国のサッカー指導者の皆さんに、守と攻の両面でこれだけ良いプレーのできる日本代表が、なぜ点を取れなかったかを考えてもらう良いチャンスだと思っている。

 さて、釜本邦茂の連載――。1968年メキシコ・オリンピックの1次リーグの2試合を1勝1分けとした日本代表の第3戦。
 68年10月16日、第2戦の対ブラジルを1−1で終えたチームは、その日のうちにプエブラからメキシコシティの選手村に戻った。

 次の日の17日、長沼健監督、岡野俊一郎コーチはアステカ・スタジアムでのA組第3戦、メキシコ対ギニアを観戦した。メキシコは初戦のコロンビアに1−0で勝ち、第2戦のフランスに1−4で敗れた。フランス戦では相手の浅い最終ラインのオフサイドトラップに引っかかり攻撃がうまくいかなかったが、ギニアには4−0で完勝して、やはり力のあるところを見せた。A組首位のフランスはすでに2勝して、得失点差を計算してコロンビアに1−2で敗れながら、1位で準々決勝進出を決めた。

 準々決勝の組み合わせはA組1位対B組2位、B組1位対A組2位だから、日本は第3戦でスペインに勝ってB組に1位になれば、メキシコと顔を合わせることになる。
 38歳、37歳と若いが、すでに“東京”での経験を積んでいた長沼監督、岡野コーチは準々決勝で当たる相手は、開催国のメキシコでなく、A組1位のフランスの方が得策と考え、自分たちの狙う順位を2位にした。
 ただし、B組3位のブラジルが1分け1敗で、敗退の決まっているナイジェリアに大勝すれば、日本がスペインに負けた場合は順位が変わることもあり得る。
 スペイン戦を前にした方針は「まず勝つことを目標に」とし、それも「失点ゼロ」を強調した。無得点でも引き分けで勝点4となるからだ。

 18日、アステカでの試合は、前半はスペインの個人力が出て、日本は守勢に回ったが、しっかりと防いだ。場内アナウンスはまず、ナイジェリアがブラジルに3−0でリードと伝えた。後半20分にブラジルが1点を返して、1−3となったと知る。ブラジルが逆転する可能性は少なくなった。もし、勝っても日本の得失点差「2」を超えるゴール数を稼ぐのは難しいだろう。25分に「引き分けにして、準々決勝の相手をフランスにしよう」と監督、コーチは決めて、宮本輝紀を休ませ、交代で湯口栄蔵を送り込んだ。彼には「チーム全員に、点を入れるな。けど、入れられるな」と伝えるように命じた。
 後に長沼監督に聞いたところでは、スペイン側にも微妙な空気の変化があって、「どうしても勝とうという感じと違ってきた」という。計算があったのかもしれない。

 ブラジルが反撃して、3−3となった経過が伝えられたが、方針は変えなかった。といって、選手たちには「無得点、引き分け」の方針が全員に伝わったわけではなかった。「点を入れたらアカン」という湯口の伝言が理解できなかった者もいたらしい。釜本邦茂は、「僕は分かったが、杉山(隆一)さんはどうだったかな」と語る。健さん(長沼監督)によると、「釜本はシュートを外したとき、指で丸をつくってみせた。こちらからOKのサインを出すと、ボールを持つとドリブルで時間を稼ぐようになった」。

 杉山や森孝慈には、湯口の関西弁は、よく聞き取れなかったらしい。
 89分に杉山がドリブルで左から斜めに入ってきて、ロングシュートを放ち、右ポストに当てて跳ね返ったこともあった。「引き分けが最善などと考えた試合は、後にも先にもこのときだけ」(長沼監督)。「いつもなら、シュートがバーやポストを叩けば、なんとついてないことかと悔しがるのに、入りませんようにと目をつぶった」(岡野コーチ)という初体験で、日本代表は準々決勝へ進んだ。

 ノックアウト・システムの相手フランスはオリンピックの創始者、ピエール・ド・クーベルタンを生み、ワールドカップの提唱者、ジュール・リメを生んだスポーツ大国。サッカーもまた輝かしい実績を持つ。「世界中の誰もが日本の勝利を考えていない相手」(デットマール・クラマー)だが、日本側は“いける”とみていた。その望みを釜本邦茂の突破とシュートが実現することになる。


(週刊サッカーマガジン 2009年3月3日号)

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