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釜本邦茂(16)メキシコ五輪で突破シュートと胸でトラップからのシュート。フランスを破ってベスト4へ

 1968年10月20日、メキシコ・オリンピック、サッカー競技の準々決勝、フランス(A組1位)対日本(B組2位)は正午からメキシコシティのアステカ・スタジアムで行なわれた。同じ時刻にプエブラで、スペイン(B組1位)対メキシコ(A組2位)、グアダラハラでハンガリー(C組1位)対グアテマラ(D組2位)、レオンでブルガリア(D組1位)対イスラエル(C組2位)もキックオフした。
 A組リーグでメキシコを4−1で破ったフランスにアステカの観衆はあからさまに拒否反応を示し、日本がボールをキープすると拍手と声援を送り、フランスの反則には非難の口笛がすごかった――と現地からの新聞のリポートは伝えている。

 前半途中まで、日本はオフサイドが多かった。フランスの浅い4バックの背後を早めに狙うクロスパスで破ろうという策が、パスを出す前に慎重になって時間をかけすぎたためだった。
 25分に左サイド寄りの宮本輝紀から思い切りのよいパスが右へ出た。ペナルティエリア右隅の外にいた釜本邦茂がボールを受けてドリブル。マーク役のルノワール・プランテをかわし、ゴールに迫り、狭い角度のところをニアに決めた。本人の回想によると、「相手をかわした後にドリブルをしすぎたが、ゴール前へ渡辺(正)さんが走り込むのが見えて、GKが前に出た。渡辺さんを警戒した。それを見た途端、パスという考えは消えて、右足でシュートした」という。
 私は、この瞬間を当時のテレビニュースで見ただけだが、釜本がDFをかわして突進中にバランスを崩して、倒れこみそうになりながら、体勢を立て直したシーンが強く印象に残っている。バランスを崩しながら、立て直した復元力の素晴らしさと、その後に続く冷静なシュート、それを高速突進の間にやってのけるところが、このストライカーの本領といえた。

 フランスも1点を返す。30分にゴール前の高いボールをシャルル・タンブエオンがヘディングで決めた。だが、日本の士気は高く、DFの相手へのマークはしっかりしていて、失点の場面以外は危なげがない。ハーフライムの指示はクロスパスのタイミングを早くすることだった。

 59分に杉山隆一からのパスを釜本が決めて2−1とした。左タッチライン際の杉山がキープし、そのスピードを警戒して、相手は飛び込まない。杉山は中央に入った釜本にピタリと合わせてパスを送る。DFを越えてくるボールを胸で止めてのシュートという釜本の得意の形でのゴールは、オリンピックでも、日本リーグでも変わることはない。彼のマーク役はここで交代させられた。
 70分に日本の3点目。中央付近のFKから宮本輝紀が小城得達へ、小城が大きく右寄りの釜本へ送り、釜本がエリア内右から中へ、それを渡辺が走り込んで、彼自身の大会2点目を決めた。

 ヨーロッパの伝統国を破って、ベスト4進出の快挙。ハーフタイムにデットマール・クラマーは選手たちに「後のことは考えなくていい。君たちは残り45分で歴史を変えるのだ」と言ったという。
 84年にフランスで行なわれた欧州選手権大会のときに、ミシェル・ラルケに会った。この試合にMFで出場し、のちにスポーツ誌の記者になっていた。「68年の日本はとても良いチームだったし、カマモトは素晴らしい選手だった。よろしく伝えてほしい」と彼は言った。

 10月22日、中一日おいての準決勝の相手は64年東京オリンピックのチャンピオン、ハンガリーだった。前半は0−1、後半は0−4と合計0−5で敗れた。前半初めの2度のチャンスのうち、どちらかを決めていれば――と長沼健監督たちは残念がった。釜本を警戒する相手の裏をかく攻撃だったが、1本目は宮本輝紀のシュートがGK正面へ飛び、2本目の渡辺は左へ外した。個人的にも組織プレーでも上の相手に対して、よく持ちこたえたが、30分にスローインからラヨシュ・スチのボレーシュートで先制された。
 52分に相手のアンタル・ドゥナイと競り合ったとき、小城の手にボールが当たってPK。0−2として勢いに乗ったハンガリーは、中盤を支配。59分にスチの2点目が生まれて、3点差。65分に再び小城のハンドでPKを取られて、4点差。73分にスチのこの日3点目となるゴールが加わって大差となった。

 観戦した竹腰重丸さん(故人・当時JFA理事)は「日本が早いうちにつくったチャンスで点を取っていれば、試合の様相は変わっていたと思われるが、やはり力の差はあった。0−5の大差は残念だが、2点は不運なPKによるもので、士気崩壊による失点でなかったのは幸いである」と記している。
 試合の後で、クラマーは得意の話術で“大敗”のシコリをほぐし、「ゴールド(金メダル)も素晴らしいが、銅の色もよいものだ」と3位決定戦に向けて、心の切り替えを強調した。


(週刊サッカーマガジン 2009年3月10日号)

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