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サッカーの話をしよう 〜「ライブラリー」に刻む旅 若い世代の知的資産に〜 By大住 良之

賀川さんは、私たちサッカージャーナリストにとって、「あこがれ」の大先輩のひとりだ。

1924年生まれ73歳。大阪サンケイスポーツでスポーツ記者として活動しながら、サッカー専門誌などに記事を書いてきた。社会や文化的な背景を盛り込んだ世界各国のサッカーの紹介記事、サッカーへの温かみあふれる文章に触発されて、サッカー記者を目指した人も少なくない。

学徒動員で特攻隊となりながら出撃直前に終戦を迎え、奇跡的に帰国した賀川さんが、とんでもない災難に見舞われたのは、3年前、1995年の1月17日未明のことだった。芦屋市の仕事場で、徹夜の原稿書きの手を休めたとき、あの大地震が襲ってきたのだ。

まさに「九死に一生」だった。この仕事場は、膨大な資料を整理しようと、書庫兼事務所として借りたマンションだったが、一瞬にして建物が崩壊し、資料の山が崩れた。5分前と同じように机に向かっていたら危なかっただろう。

その賀川さんが、「震災3周年」の先週土曜日にインターネットのホームページ「KAGAWAサッカーライブラリー」を開いた。

本当は、コレクションや資料を集めた「ミュージアム」をつくろうと考えていた。次の世代が知的資産として自由に使えるものを残しておこうと思ったのだ。だが大震災がその貴重な資料の2/3と、賀川さんの計画を奪った。

しかしその後、関西の有志で「サッカーボーイ」というホームページを運営する若者たちと出会った。いつものようにサッカー談議に花を咲かせているうちに「賀川さんのホームページをつくろう」という話になった。そこで賀川さんが思いついたのが、こまであちこちの雑誌に書いた記事を「ライブラリー」としてまとめることだった。

書籍やコレクションなど、物を手に取って見ることのできる「ミュージアム」ではなかった。だが賀川さんが丹念に資料をあたって書き続けてきた各国のサッカー史やその社会的な背景などを、必要に応じて読んでもらうことができる。

インターネットが大きな話題になったのは二年前。だがいまでは「ブーム」の時期を過ぎ、しっかりと日常生活に根づいている。そして、世界中の情報をいち早く取ることができる、だれでも自分の考えを自由に発表できるなどの利点をもつインターネットは、国際的な広がりをもつサッカーでは特に利用価値のあるメディアとなった。

FIFA(国際サッカー連盟)のホームページで、それまで一部の人しか読むことができなかったFIFAの資料に直接はいっていくことができるようになった。それは、「開かれた組織」としてのFIFA活動への理解を深めるのに大きな働きをしている。

実は私も、「サッカークリック」というインターネットの番組に自分のコーナーをもっている。昨年のワールドカップ最終予選時には、月間の「ヒット」数が340万にもなった。

だが賀川さんの「ライブラリー」はひと味もふた味も違う。ただ情報を生産して流し続けるのではなく、賀川さんが原稿用紙に向かって心血を注いできた心豊かな「サッカー国」の旅を、サッカーに関心をもつ人すべてが、雑誌の発行時期に縛られることなく楽しむことができるのだ。それは確かに、賀川さんの後ろを歩く世代、そしてこれからくる世代に、立派な「知的資産」となるだろう。

賀川さんは、ことし6月に7回目のワールドカップ取材に出かける。73歳。もちろん、現役のサッカー記者だ。


(東京新聞<夕刊> 1998年1月19日)

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