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People 150 賀川浩「生まれ変わっても 〜すべての道はサッカーに通ず〜」 Byサッカーマガジン

――EURO2000の取材中に、物盗りに遭われたそうですが…。

賀川 そのなかに手帳が入っていてね、あれを紛失したことが一番ひどかった。サッカーに関する年表が書いてあったからね。昔、天武天皇が中大兄皇子と蹴鞠を蹴ったというあたりから始まって、ずーっとつけていたものだから。

――サッカーが形作られる前、そこまでさかのぼってですか?

賀川 それは当たり前のことでね、サッカーにかかわることは全部書きとめていかなくてはならないからね。僕は、年表を作ることを若い人にも勧めているんですよ。そうしないと、前後関係が分からなくなるからね。いまはインターネットですぐ検索できてしまうけれど、記者は自分で書くことによって頭に入ってきて、分類できるようにならなくてはいけないからね。

――そこまで精通するには、いろいろとご苦労があったと思いますが。

賀川 スポーツが好きで、物を書くことが好きだったから、何も苦労はなかった(笑)。給料は安かったけれど、こんなに好きなことをしてお金をもらっていいのかなと思っていたからね。

――常に充実していたのですね。

賀川 僕は戦争から帰ってきて、しばらくゴロゴロしていたから、新聞社に入社したのが1952年の27歳のとき。人よりスタートが遅れていたから、とにかく始めはめちゃくちゃやった。僕はサッカーをプレーしていたけれど、戦争中のブランクが取り返しのつかないことだと知っていたからね。だから、仕事では追い付くかもしれないと思って、とにかく仕事をした。用事が終っても一日中会社にいた。記者は仕事が面白いから、そういうことになる人が多い。密かな競争もあるからね。

――それでは自分の時間が持てないですね。

賀川 僕は酒もタバコものまないし、マージャンもパチンコもしない。仕事を終えてからサッカーのこと、本を読んだり物を書いたりしていれば、そんなことをやっている暇はないですよ。だから、記者の仲間が一晩中マージャンをやって翌日、勝った負けたとブツブツ言っているときに、僕は横で『ワールドサッカー』を読んでいる(笑)。

――大阪のサンケイスポーツの編集局長をなさっていたときに、業績が大幅に上がったとお聞きしました。

賀川 うちは関西では後発のスポーツ紙だったからね、僕は販売店の人たちにも意見を聞いて回った。初めはいろんなことを言われましたよ。でも、販売店の人も新聞社の幹部が話を聞いてくれたということで、売り場の置き方を優遇してくれる。これは強力なサポーターを増やしたことと同じですよ。だから、編集局のみんなにも、朝出かける時間はちょうど新聞が売り切れるころだから、「何部残っているか、見たままでいいから数字を書いて来い」と言って、毎日紙を渡して書かせていた。いわば、FWも守備をするということ。一つのチームとしての勢いにもつながる。新聞社も、ある意味サッカー競技みたいなものだからね。

――個性派揃いの記者をまとめていくご苦労もあったのでは?

賀川 僕は新聞を作るにあたって…、これはサッカーの考え方なんですけれど、部長や編集局長になったらそのときやることは、まず「個人技アップ」ですよ。上が指図するよりも、現場にいる記者がその場で判断して考えることが先で、すべて現場に任せる。サッカーだって、ボールを持ってどっちに蹴るかは選手の問題でしょう。先日アントラーズが優勝したとき、トニーニョ・セレーゾ監督がこう言っていた。「私は、選手たちが十分力を発揮するために準備をするだけ。試合は選手がやるのですよ」と。彼は自分がちゃんとした選手だったから、そう言えるんです。グラウンドに出たら選手の仕事や、全部。記者もそうです。

――「個人技アップ」を図る上で必要なことは。

賀川 褒めることですよ。若い記者の原稿を見て、便所で会ったときに「この前の原稿、よかったな」。それでいいんですよ。いつも見ていてくれると、思わせることが大事。サッカーでも、このごろみんなうまくなったのは、サポーターがいつも見ているからですよ。アドバイスは必要ですけれど、悪かったことはあまり言わない方がええんですよ(笑)。

――すべてのことを、サッカーに重ね合わせて考えていらっしゃるのですね。

賀川 それはそう。それ以外、僕は勉強していない(笑)。86年メキシコ・ワールドカップの公式ソングに「サッカーの窓から世界を見る」という意味の歌詞があるのだけれど、まさに僕の生活がそう。サッカーのおかげでいろんなことを知った。例えば先日のトヨタカップでボカ・ジュニアーズが来たら、アルゼンチンの歴史やそれに関連することを勉強していこうと、どんどん興味が広がっていく。僕は、サッカーのために多少の努力はしてきたけれど、それ以上に、サッカーからもらったものの方がはるかに大きい。

――賀川さんにとって、「サッカー」とは?

賀川 足でボールを蹴って入れるということが、世の中で何の役に立つ?カーブをかけてゴールに入れたからって(笑)?そう言ったら、李国秀(V川崎総監督)が、「そこまできつい言葉はないです。でもそこに無限の愛情が含まれています」なんて言うから、「そういうことにしとけ」って(笑)。でも、何の役にも立たないから、面白くてあんなに感動する。戦争中に、満足にできなかったが、いまの日本や世界ではそれができる。そういう中で、皆でワイワイやっていられるというのは、けっこうなことです。もういっぺん生まれても、同じようにやっているでしょうね(笑)。


(サッカーマガジン No793 2000年12月20日 構成/橋田真琴=サッカーマガジン編集部)

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