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チェコ軍人が神戸一中と対戦

 チェコスロバキアのサッカーについて、私が知ったのは、中学校(旧制神戸一中)へ入ってから。古い先輩の話で、大正8年(1919年)にチェコの軍人チームが神戸にやってきて、二度、神戸一中と試合をし、二度とも8−0の大差で勝ったという。

 このチェコ軍人というのは、おそらく、第1次大戦で当時オーストリア・ハンガリー帝国に属していたチェコがドイツ・オーストリアの同盟軍として戦い、ロシア戦線で捕虜となっていた人たちかも知れない。1914年からの第1次大戦は18年に終了したが、ロシアは革命となって、チェコ人たちは故国へ向かって西へ脱出することができず、東方シベリアを通り、日本を経由して中部ヨーロッパへ帰って行ったことがある。

 チェコスロバキアはご存知のとおり、チェコ人とスロバキア人からなる連邦国家だが、今の共和国の形ができあがったのは第1次大戦が終わったあと。その前は16世紀から、強大なハプスブルク王家のオーストリア・ハンガリー帝国の一部だった。もっとも、それよりはるか前、9世紀頃(千年以上も前だが)に溯ると、チェコ人とスロバキア人は互いに区別されることなく「大モラビア」という単一の国家を形成していたらしい。

 10世紀に入って、マジャール人が東方から侵入したために大モラビアは崩壊し、スロバキア地方はハンガリー王国に併合される。スロバキアより西に住むモラビア人とチェコ人は、ゲルマン民族の中にはめ込まれたようになりながら独立を保ち、神聖ローマ帝国の家臣たるボヘミアン王が主権者だったが、16世紀になってハプスブルク王朝がハンガリーと合体し、ボヘミアも組み入れて大帝国を創りあげ、スラブ族はゲルマンとマジャールの国の民となる。その大帝国が第1次大戦で倒れたことで昔の大モラビアを甦らせ、チェコ人とスロバキア人が共住する国家が1918年に誕生する。

 前述のチェコ軍人たちと神戸の中学生とのサッカー試合は、そうした歴史の背景を持っている。


(サッカーダイジェスト 1991年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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