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最も単純で原始的なフットボールを踏襲するサッカー

 広さや高さの仕切られた一定の空間をボールが通過することによって得点とするのが、フットボール競技すべての共通点となっている。いやゴールへ蹴り込む競技をフットボールと総称した方がいいかも知れない。ラグビーでは、近ごろはトライする方に重点が置かれているが、トライ(ボールを手に持ったプレーヤーが、相手側ゴールラインの向こう側=インゴール=地面にボールをつける)したチームは、2本のゴールポストの間の空間へキックする権利を持ち、成功すれば得点が加算される。
 アイルランドで、いまなお行なわれているラグビーの一種、ゲーリック・フットボールは、アメリカンフットボールのように、タッチダウンするが、それは得点に計算されず、得点は、ゴールへのキックが成功したときだけという。複雑なルールのアメリカンフットボールにも、依然としてゴールへのキックが残っている。
 そんなフットボール競技のなかで、サッカーが本家とされているのは、ゴールこそすべて、という、もっとも単純な、もっとも原始的なフットボールを踏襲しているからだ。  中世は、村の入口や町の広場の端が、ゴールであったが、現在ではフィールドの両端に設けられた高さ2メートル44、幅7メートル32の空間(ポストとバーに囲まれた)と規定され、これを巡る攻防の妙が世界中に浸透し、ゴールを狙うストライカーの技術や戦術が、勝敗に大きく響くことになった。


目的は一定の空間を破る!

 ストライカーの持術といえば、まずシュートだろう。ポストとバーでつくる空間をGK(ゴールキーパー)が守っているのだから、彼を打ち破らなければならず、GKの手の届かないところへ、つまり、狙った通りのところへ、ボールをキックできなければならない。
 釜本邦茂選手は、若い頃からボールを蹴ることが好きだった。山城高校時代に彼を指導した森貞夫先生は、「ランニングなどのフィジカルトレーニングも、サボリはしなかったが決して好きではなかった。しかし、ボールを扱う練習は進んでやっていたし、特に、2人が向かい合って行なうキックなどは、ハタ目には退屈に見えても、本人は飽くことなく1時間でもやっていた」といっている。ボールを蹴るということが、好きだから上手になったのか、上手だから好きだったのかは、分からないが、反復して練習することをいとわなかった。ペレよりも少し早い時期に世界のトップにあったハンガリー代表チームのプスカシュ主将は“左足の少佐(陸軍少佐だった)”といわれたシュートの名選手だったが、彼は若い頃に、目を閉じてプレース・キックの練習をしたという。先輩達はバカバカしいと笑ったが、プスカシュは、「繰り返しているうちに、ちゃんとキックできるようになった」と言っている。プスカシュ・フェイントといわれるドリブルの名手でもあったが、同時に、目を閉じてボールを蹴るという発想をするほど、キックにも打ち込んだのだった。

 競泳ではクロールが一番早いように、キックでは足の甲を使ってのインステップ・キックが、強く正確に蹴れる方法だ。シュートも、まずインステップで正確に狙ったところへ届くようにすることだろう。優れたストライカーは、たいていインステップ・キックの基本がしっかりしてる。
 と同時に、2メートル44の高さを越えないためにボールを高々と上がらぬようにしたい。1966年のワールドカップの得点王になったポルトガルのエウゼビオは、ボールより1歩前へ踏み込んで、上からボールを叩くことで「高く上がらない」独特の弾道(タマスジ)を持っていた。彼のマネをして失敗した釜本選手の話も本文中にあるが、エウゼビオは特別としても、どのストライカーも、ボールが浮かないように工夫をする。ボールがバーを越してしまえば、いかなるヘディングの名手も、どうしようもない。逆に、グラウンダー(野球でいうゴロ)なら、たとえ、ゴールの枠を外れたとしても、誰かが触れることもできるからだ。
 釜本選手の右45度のシュートは、高く上がることはまずない。それは、ボールに当たるとき、蹴り足の右足は横向きになって、インステップで横からボールを捕らえるからだ。
 それぞれストライカーは、自分のシュートの確率を高めるため、上がらないキックを工夫するものだ。

 シュートだけでなく、ボールを止める技術がしっかりしてなければ、ボールを的確なところへ落としてシュートの体勢へ持ってゆけなくなる。足でのトラッピング、胸でのトラッピング、手以外ならどこでもボールを止められるようにしたい。釜本選手が胸のトラッピングがヘタだったら、日本のオリンピックの銅メダルはなかったかも知れない。

 シュート(ボールを蹴飛ばす)トラッピング(ボールを止める)ヘディング(頭でボールを飛ばす)といったボールプレーに習熟することは、サッカーのどのポジションでも同じだが、優れたストライカーといわれた人たちに共通している点は、習熟した自分のボールプレー(テクニック)を、常に相手側のプレーヤーがすぐそばで妨害に来ているなかできちんとやれることだ。釜本選手がよく言っていたのは、「ゴールは男の戦場」であり、こうした修羅場に強いことが、ストライカーとしての大きな条件となる。
 ただし、このことは、外見だけのいかにも勇敢にみえるプレーのことではない。激しい接触プレーのなかに自分のテクニックを発揮できること、あるいはエキサイトしながらそのなかで、日ごろの手順通り体を動かしてゆくことが大切なのだ。


ゴールはすべての人の願い

 本文には、一つひとつのゴールの事例と、そのときの技術的、戦術的な要素がゲームの流れのなかで、どのように得点に結びついたか──が主となっていて、概論や分析にいささか欠けているかも知れないが、こうした点については、次の機会を持ちたい。  現在、筆者が興味を持っているのは、ルムメニゲの、ボレーシュートの型が、彼の幾つくらいからできてきたか──つまり、一人のプレーヤーの技術のオリジナルと年数や発育との関連をみたい。イタリアのヘディングの名手ベッティガの、あの深い角度のヘディングシュートは、どのころに身についたのか、ケビン・キーガンのニアポストへズカズカと踏みこんでくるのは、何歳くらいからの所産なのか──など、日本に釜本邦茂という、みごとなモデルがいただけに、彼との比較をしながら、そんな一流ストライカー、あるいは一流プレーヤーの成長過程を追ってみたいと思っている。

 ブラジル代表のMF、黄金の4人といわれた一人、ソクラテスは少年時代はシュートが下手だった。筋力がついておらず、そのためキックが弱く、得点したのは、たいていドリブルでとことん抜いていったのだという。したがって、この前文で、シュートを強調したからといって、まだ体のできていない(片足でしっかり立てない)子どもに、それを要求しても難しいかも知れない。スターのプレーをとりあげて解説を書くときに、私が概論の方へ足を踏み込まない意図もまた、そこにある。

 ゴールへシュートを決めたい──とは、少年から、我々老人サッカーまで、共通した願いに違いない。このテキストが、皆さんの参考になり、各ストライカーのフェイマスゴールが、何かの刺激になってくれれば幸いなことだ。


(サッカーマガジン 1983年11月1日号)

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