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国が変わってもサッカーは存続

 2つの同系の民族が隣接地帯に寄り沿って住む国家をつくっても、西方のドイツには新しいヒトラーのナチスが抬頭し、それが東へ勢力を伸ばして、チェコスロバキア共和国は第二次大戦の直前にナチスドイツの支配を受ける。その大戦が終わると、今度はナチスの手から開放してくれたスラブの本家・ロシアが「社会主義」の旗印を掲げて乗り込んで来る。大戦後の米ソの二大勢力の間にあって、チェコスロバキア共和国は、チェコスロバキア社会主義共和国として、ソ連を盟主とする東方に加わらなければならなかった。

 私のような戦中派にとっては、歴史の流れの中で、社会主義そのものは決してアイデアとして悪くはないと思う。ただし、社会改革を急ぐものは、反対派を力で押さえることが必要となり、それが進むと一党独裁となり、あるいは中央への権力集中となる。そして、権力集中ゆえに体制は腐敗し、崩壊につながる。

 そのことは、民主主義と称する社会の中でも同じだし、私たちの身近なスポーツ団体や会社の中にあっても、あまりにも権力集中や中央集権が過ぎると、そのための大きなマイナスで体制が揺らぐ例を、いくつも見ることができる。

 それはともかく、こうした社会主義で結ばれた東ヨーロッパの体制の大変革によって、この国は社会主義の看板をはずし、「チェコスロバキア連邦共和国」となった。

 国の政治体制が変わり、あるいは王朝が倒れても、人々が愛するスポーツ、大衆に根を下すスポーツは変わらずに発展する。特にサッカーのように地域社会にしっかりした基盤を持ち、地域住民によってクラブが創られてきたスポーツは、大変革の中にも庶民の希望、市民の楽しみとして消えることはない。

 チェコスロバキアのサッカーも、19世紀に導入されて以来、こうした社会の移り変わりの中で着実に人の心を捕らえてきた。


(サッカーダイジェスト 1991年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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