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プラティニのFK

ゴールを支えるチームワーク

 1984年のヨーロッパ選手権のミシェル・プラティニが挙げた9得点は、単にフランスの大衆にとっての喜びであるだけでなくヨーロッパ人にとっても、全世界のサッカーファンにとっても語り継ぐべき名場面でもあった。
 それは一人のスターが、スーパースターへの脱皮を告げるゴールであると同時に、停滞気味の欧州サッカーをリードするフランスの攻撃的サッカーの成功を内外に示すものであり、チームゲームとしてのサッカーの面白さが、多くのエンターテインメントの中でも隔絶していることを、再認識させたもの──と言える。
 どんなに上手に組み立てても、最終のシュートがまずくては得点にならないのと同じように、どんなにシュートが良くても、その上手なストライカーへ、いいボールが供給されなければ、言い換えれば、いいタイミングのパス、いいタイミングでの味方の協力がなければ、多くの得点は生まれてこないのだ。
 84年のヨーロッパ選手権を制したフランス・チームの良さは、DFからでも、MFからでも、相手のボールを奪い、味方ボールとなったときに始まる攻めの多様さ、それぞれのパスのタイミングのいいこと、言い換えれば、すべてのポジションのプレーヤーの攻撃センスの高いこと、そのセンスを実行するボールテクニックと、一人ひとりの体のこなしの水準の高いこと──にあったと言える。
 プラティニのゴールという、ヨーロッパ人と、いや世界人と共通の話題の中で、単に大スターの技術だけでなく、その得点の背後にあるチームワークを汲み取っていただければ幸いと思う。


相手の判断の裏をかくタイミングの良さで自信を持つFK

1984年6月19日(サンテチエンヌ)
フランス3−2ユーゴスラビア(0−1、3−1)

 ユーゴスラビアに1点先取された後、プラティニのハットトリックで逆転勝ちしたこの試合の1点目は後半15分、フェレリのスルーパスから生まれた。
 パスを受けたフェレリがゴール正面やや左よりのペナルティーエリアまでドリブル、相手バックスの動きを見て、左前へスルーパス、オフサイドラインいっぱいに出ていたプラティニが、ゴールエリア左角近くで追い付き、飛び出してくるGKシモビッチを前に左足のインステップで低い球を蹴り、相手の左下を抜いてゴールを決めた。
 フェレリがドリブルしたときに、左前のいい位置取りをしたプラティニの読み勝ち。相手GKを前にしての落ち着いたプレーは、まさに第一級のストライカー。この日のユーゴスラビア戦でフランスは、その前のベルギー戦と同じようにMFに5人を投入し、プラティニはミッドフィルダー群の先端に立って、相手ゴールに近い位置でプレーしていた。

 このユーゴスラビア戦の3点目で、私は長らく期待していたプラティニのFKのゴールを見ることができた。
 76分、ゴール正面から5メートル左寄り、ペナルティーエリアより2メートル外側でのFK。彼の右足のフックボールで、ゴール右隅(ファーポスト)へ蹴るのか、左隅(ニアポスト)へ蹴るのか興味いっぱい。スタンドからプラティニ、プラティニの声援が飛ぶ。ユーゴスラビアのカベは6人が中央、その左に2人が離れて立つ。ボールのすぐ側に立っていたプラティニが、踏み込みの予備動作を見せずに、軽く右足を振った──とみるとボールはカベの左から2人目辺りを越え、上へあがったと思うと、ゴールの所で落下し、左ポスト、ぎりぎり、1メートル50位の高さでネットへ。GKシモビッチはおそらく、蹴るタイミングを読めなかっただろう。ジャンプしたが、ボールに届かず、またタイミングも遅れた。
「カベには必ず隙間がある」と彼はこの試合の後で言っていた。自分のFKに、絶対の自信を持つ男が、相手の判断より、一つ早く蹴ったタイミングの勝ち。助走なしでキックをきちんと出来るという技術の勝利でもあった。


状況に応じた多様なFK

1984年6月27日(パリ)
フランス2−0スペイン(0−0、2−0)

 決勝の対スペイン戦の1点目もプラティニのFK。56分(後半11分)、先のユーゴスラビア戦とほぼ同じか、少し左寄り。
 スペインのカベは5人。今度のプラティニはファーポストを狙って右足でキック。  ボールはカベの右端(蹴る側から見て)カマーチョの右側を腰の高さで通り、ゴールラインで急激に落下した。スペインの名GKアルコナーダは、ジャンプして、横にセービング、腹の所でキャッチしたと見えたが、ボールはアルコナーダの脇腹を潜るようにポロリと転がり出て、ゴールラインを越えてしまった。ゴールキーパーにとっては痛恨のミスだが、プラティニのドライブのかかったボールの落下のコースが、アルコナーダの予測と違ったのではないか──取りにくいボールだったと思う。

 84年の欧州選手権で、ヨーロッパで名高いプラティニのFK、それもニアポストとファーポストを一つずつ見られたのは、私にとっての幸いだった。
 82年のスペイン・ワールドカップのビルバオでの試合で、彼のFKがゴールを越すのを見て、失望したのとは違い、今度は、紛れもなく、見事なカーブのコントロールだった。
 これほどのプレースキックの技術を持ちながら、彼はその時の状況に応じてFKをドメルグやバチストンやジレスに蹴らせ、フランスのFK戦術の多様化を図り、それがまた、彼自身のFKの成功に繋がったのだった。


(サッカーマガジン 1984年10月1日号)

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