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若手登場の全日本に希望あり


 今度の1FCケルンとの親善試合で、二宮・全日本は、初めて多くの新人を入れた。これが本当の意味での二宮・全日本のスタートになるわけだが目標はもちろん“モスクワ”。出ると負けを繰り返す日本サッカー、何とか強くなってほしいという願いは大きくなるばかりである。
 そこで、長年運動記者としてサッカーを担当してこられ、現在も神戸FCで指導を続けておられる大谷四郎氏に、今号から連載で毎回技術的な問題を中心に、インタビュー形式で答えてもらうことにした。
 まず今回と次回は、日本代表と日本サッカーについて、その問題点などを聞いてみた。



注目されたボールを扱える選手

――全日本と1FCケルンの4試合、それに韓国との定期戦と、6月1日から15日までの間に5試合あった。その中で、全日本の二宮監督は「正確につなぐサッカー」をやるんだといってましたが、果たしてそれはできていたのかどうか、問題点がい多かったように思いますが。

大谷 全体としてできていたとは思わない。ケルン戦ではいいプレーをやった場面も多かったが、テレビで日韓戦を見て失望した。ケルンは強くうまいが、しょせん親善試合、のどかな面があった。ところが、日韓戦となると、今度のは従来ほどではなかったが、タイトルの厳しさがあり、それなのに、日本はのどかにやっていた。厳しさの中で自然に出てくる技術でないと、同じ技術といっても本物の技術じゃない。

――それでは、これまでの全日本と同じで、一つも変わっていないということになりますね。ただ、今度のケルン戦のメンバーにはたくさん新人も入って、実際に試合にも出ましたが、彼らも含めていい若手が出てきたという見方がありました。それについてはどうでしょうか。

大谷 これまでの主役じゃなかったタイプの選手が、マスコミなんかでも注目された。金田、西野、古前田などですね。他にも高橋、杉山、前田、横山と、若手と称する選手が出てきた。全部が全部活躍していいプレーをしたわけではないが、将来につながる望みを抱いた者も多かった。ケルンとの2戦目が終わった後、「若手が台頭してきたが希望が持てるか」という質問を受けたが、簡単にいえば、私は楽観的である。(日本チームが)将来うまくなっていくであろうとはいえる。ただし、数人いい若手を入れた、来年は勝てますか、モスクワへ行けるか、ということになると話は別であり、それはまだ分からない。ただ、ボールを扱える若手が出てきたということ、そのこと自体が明るいことであり、今後も、金田など数人に限らず、出てくるであろうと予想される。そういう意味において希望が持てるわけです。

――今後も出てくるというのは……。

大谷 サッカーの底辺が普及し、各地にサッカースクールなどができ、少年層に対する普及が自然に実りつつある。自然にああいったボールを扱える選手が生まれてくるだろうと考えられる。上から“フタ”をしていてもそういう選手は育ってくる。今までは、そういうものが伸びるのを“フタ”というか、認めなかったというフシがある。その“フタ”をとってやれば、さらに大きく伸びてくる。それは、指導者の問題で、まだ解決されていない。とくに彼らが伸びるためには、高校の年代、それから大学にかけての指導者の問題が大きい。


いいプレーの回数が多くなった

――希望が持てる若手、とはいっても、それほど活躍はしなかったのではないですか。

大谷 それは若手全員が、出場中すべてよかったわけではない。しかし、ときどきいいプレーがはさまってきた。その回数が多く、それをやる選手が、これまでには拾われなかったタイプで、それが今回拾われている。その中でよく働いているという意味で目についたのは、まず金田。それから古前田、彼は年からいって若手とはいえないが、認められるのが遅かった。西野は第1戦だけしか出なかったが、いいものを持っている。2人か3人をドリブルで抜いていった場面などがあった。気が弱いような印象を受けたが、ああいったプレーから自信をつけていったらいい。その他にも新しく選抜されていたが、それについては、いいなあというプレーは拾いにくい。というのは、終始出ている選手が少なかったから。

――金田、古前田などのプレーのいいところはどんなところですか。

大谷 金田はいい姿勢でボールが持て、ドリブルができることはもちろん、ドリブルしながらのパスのタイミングが正確につかめる。それを印象づけたのは、第1戦の1点目に永井に送ったセンタリング。相手を前に置きながらちょうどいいタイミングで蹴れた。それはセンスの問題で、非常に将来性のあるセンスを持っていたといえる。ただ体力、筋力は今後の問題になるだろうが、ボールのさばき、パスでは何本かいいのがあった。

――金田は、日韓戦では、素晴らしいシュートを決めたものの、中盤では何回もボールコントロールに失敗していた。

大谷 それは、これから激しさの中で、自分の力をどれだけ発揮できるかにかかっている。素質はあっても、のどかな“環境”では生きたが、厳しい中ではまだ生きないということだろう。もう少し厳しい試合になれてくれば、その素質を生かせる。そういう意味で、他の選手も日韓戦では情けないサッカーをやっていた。そこから、タイトルをかけた試合をもっとやらなくちゃだめだといわれる理由が分かる。親善では本当の厳しさは出てこない。
 古前田については、ケルン戦のときにいいパスを出していた。後半に交代することが多かったが、体力の衰えもあるのだろうと思う。もっと早く見つけて使ってやったらよかった。大学時代、ボールが持ててパスもできる数少ない選手だった。

――大学時代からフジタ(当時・藤和)に入ったころは、ガッツとか激しさが見えなかったし、全日本に選ばれるほどの活躍はしていない。

大谷 ガッツとか激しさを選ぶ条件にするのではなく、大事なのはいいセンスを持っていることで、それが第一の条件にならないと日本のサッカーはだめだ。次に、試合に通用する強い選手にするかしないかは、本人と指導の責任が半分ずつ。そこである程度認められてもついてこられない選手は、これは落第とみてもいいわけです。
 それから、高橋をもう少し見たかったけど、第1戦の1点目の釜本にパスを渡したプレーしか記憶がない。出た中では特にいいプレーはなかったと思う。あの若い高橋をもっと見たかったんだけれども、評価するほどの時間ではなかった。
 連戦の中から、若手といわれる選手を2、3人ぐらいしか拾っていないわけだが、ああいう選手が認められてきたという雰囲気に期待がかけられる。そういう雰囲気づくりが、コーチの問題とともに成功するなら、もっといい選手が出てくるだろうと思う。そうすれば非常に明るい希望が持てるわけです。

――次に、現在中心となってプレーしている中堅の選手についてはどうでしょうか。

大谷 個人が誰というより全体の感じとしては、攻撃面では、釜本のあとのストライカー。ポジションではセンターフォワードだが、これが大きな問題だ。早く後継者が出てほしいということですね。それともう一つ、いまいいウイングが少ない。ウイングというのはどんなにシステムが変わっても、いつの時代にも必要なもので……サイドから攻められるチームでないといけない。そういう意味でウイングが強くなってほしいと思う。


指導者のサッカー像が問題

――これまで話のあった若手も含め、いまの代表選手が、これから伸びていくかどうかが非常に心配ですが、それについてはどうでしょうか。

大谷 指導者がどんなサッカーをやらそうと思って鍛えているのかが問題だ。どういう練習をやるかは、どういうサッカーをやらそうとしているかで決まってくる。これについては、いままでは、全日本に限らず、その下の段階でも、自分の描いているサッカー像と違うという気がしていた。これまでは、ボールを扱える選手が生かされなかったし、またそういう選手を育てようとしなかった。全国的な範囲で受け入れられなかった。簡単にいえば、高校とか大事な時代にパワーのサッカーが強調されてきた。そこで伸びてくるべき選手が伸びなかった。だから全日本でも、いい選手が拾いにくかった。さらに全日本そのものにも問題があった。

――長沼前監督も、現在の二宮監督も選手の個性によって「全日本のサッカー像」は決まってくるのだとよくいわれてましたが。

大谷 選ばれた選手で、どういうチームをつくるかはそういうことになると思う。だがどんな選手を選抜するかは監督が描いている像にまず合格することによって決まってくるわけで、そこで、いいか悪いかふるいにかけられる。ただ個性とはどういうことか――。抽象的ないい方だが、これは誰でも持っているわけで、その個性に国際的に通用するかしないかがあるわけだ。だから、一応選んでしまったら、監督のいうように「その個性によって決まってくる」ということになる。

――そうすると、選手を選抜する段階で、すでに監督には像ができていないといけないわけですね。それによって選ぶんですから。

大谷 監督なり指導者がどんなサッカー像を描いているかが、選手を生かす基本的なものといえるわけだ。プレーを見ていて、これまでに疑問を持ったことはある。ただ二宮監督にしても、成功するかどうかは速断できるわけではない。

――日本はどういうサッカーをやっていったらいいのか、という問題……。

大谷 これまでは、単純にいえば走る、蹴るという労働量が優先されてきたサッカー。ボールを扱えない選手が、いくら動いても、相手に渡すだけで、それではゲームが成り立たない。そこで、ボールが扱える者、一度取ったボールを次に生かせる選手でないといけないわけです。

――話はまだまだ続くのですが、次回は先ほど出た監督の描くサッカー像と関係してくる「国際的に通用する個性」ということについて、話を進めていきたいと思います。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1977年8月10日号)

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