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重要なのは体力よりもセンスだ

国際的に通用する「個性」とは

――選手の持っている「個性」という言い方、これは非常に抽象的な言い方であり、実際に個性というものを考えてみると、その中に国際的に通用するプレーができるかできないかがある、という話が前号で出ました。それで今回は、前回に引き続き日本代表と日本サッカーの問題について聞きたいのですが、まず、その「国際的に通用する個性」というテーマから入っていきたいと思います。
「国際的に通用する個性」を持っているというのは、その前提というか、条件は何か、という問題。その個性を見極めるうえで、もっとも大事なことはどういうことなのでしょうか。

大谷 まずボールがキープできて、正確に蹴れる。そして一般的にいえばセンスがあるということ。そういうものが、国際的に通用するためには、まず優先されねばならない。一人の選手の発達段階からみても、これが先に、年齢的にも作用してくる。

――キープできて、正確に蹴れる、そしてセンス。それを具体的に教えて下さい。

大谷 ボールが扱えるといっても、色々な例があるが、一つの例としてドリブルができるということ。これはさらにいえば、1対1に勝てる、つまり救援がなくても1対1で勝負ができるということです。そして、それをつなぎ合わせていかなければならない。いくら一人抜いても、11人を相手にするわけにはいかないわけで、パスや展開が入り最後にシュートまでいく。正確なキックを使ったパス、シュートが必要となる。外国のプロ選手の正確なパス、それに比べて日本の選手は15mから20mの短い距離でも1m狂うことが多く、そういったプレーで試合の流れを止める場面を何回も見せられている。
 それからカンというか常識というか、戦術的な面が入ってくる。プレーは相手なしでまた味方の展開を考えないでやることは、それはつまり抽象的なキック、ドリブルであって、すべて相手が入って初めて技術ということがいえるわけで、これが戦術的センスといってもいろいろあるが、まずタイミングもその一つの例です。よく、いいタイミングだとか悪いタイミングだとかいうが、今というときに蹴る、渡す、シュートするという判断の問題。抜くか、パスを出すかといったことも、あらゆるものが絡んでくる。これがゲームの中で技術を生かすか殺すかのカギを握っている。敵と味方の展開がパッと分からないといけない。これも一つの常識でしょう。

――個人の戦術としてのセンス、またチーム全体の中でのセンスということで、センスについてはいろいろなケースがあるということですね。

大谷 たとえば、左へパスしたいと思うときにはまず右へドリブルしなさい、とよくいわれる。右へドリブルしたときに、相手はどんな態勢をとるか、それの逆へ出せば、どうなるかという判断がつけば、それが有効だということが分かるのだが、現実には、同じ方向へハイ蹴りますよというパスが多い。ごく初歩的な原則的なことができていない。
 また最近では、中央の守りが非常に厚くなっているのに、真ん中からばかり、相手のツボにはまるような攻め方をする。これの逆をとってウイング攻めを間に入れたら相手はどうなるかという考え、こういったことが、教えられなくても、自然に気づいてできてこなければいけない。これがいい選手になるかならないかのカギでもあるわけです。

――これらのことがうまく調和して伸びてこなかったというのが、日本の選手によくあるケースではなかったのでしょうか。

大谷 こんなことをいうと差し障りがあるかもしれないが、その中で一番大事なのはセンスです。肉体的な面からとらえていけば、センスは運動神経がもとになる。これがあれば、相手を抜くドリブルでも、キックでも、会得するようになる。といえば、センスは天性のものか、ということになるが、本当いえばそうなんだ。それのない者は、そういう研究をしなければいけないだろうが、ただ、無くても、全くついていけないかというと、その中で苦労しているうちに、ある程度身につけられる。

――運動神経、ということになれば、日本の代表になるぐらいの選手は誰だって一流のものを持っていると思いますが。

大谷 肉体的な面での運動神経ということだが、走ったり蹴ったりすることではあっても、それに判断が入ると、そういう神経は、バランスの悪い選手もいた。でも、ある程度は養うことができる。どうしてやるかといえば、それは練習になってくるわけで、どういうセンスをつけたいかによって、練習をいろいろ工夫する必要があり、一言ではいえる問題ではないが、深く追求していくべき問題だ。そして結局、それが指導者の能力ということになる。


センスを生かしたサッカー像を

――そうすると、これまで、日本にそういった選手が少なく、そのレベルが低かったということは、指導者がそういったセンスを伸ばしてやるための指導力を持っていなかったということでしょうか。
大谷 指導力がなかったというのではなく、サッカー像が違う方向にいっていたことが多かった。センスが生きたサッカー、センスを生かすことよりも、体を生かしたサッカーをやっていた。中学、高校の段階で、センスには無関心で肉体的に鍛えれば何でもできるという考えだったというのが私のこれまでの感じです。

――方向ではなく、そういうセンスを養うための練習方法なりが分からなかったのではないですか。

大谷 全体的にそれよりも、まずセンスを重要視するサッカーをやらそうと思うかどうかが、その前の分かれ目でしょう。先に挙げたキープ力、正確なキック、そしてセンス、その3つのことを求めるならば、当然指導の方法というものは考えるはずなんです。ところが、これまでは、例えば1対1で抜くよりも蹴れというサッカー、大きく蹴れ、パスにならなくても前へ蹴れ、走れというサッカーが強調されてきたでしょう。

――キープするとか、蹴るとかでも、体力や筋力は必要だと思うのですが。

大谷 ある程度は問題になるが、もっともっと大事なことがある。基本的な問題で姿勢の良さが軽視されている。これについてはいろいろ話したいことがあるのだが……。

――姿勢の問題については、以前にある監督が日本の代表選手について、トラップするときに前かがみになる蹴る点があり、これではうまくならない、といったのを聞いたことがあり、なるほどと思ったことがあります。しかし、この問題は、キープやキックの能力向上とあわせて別のときに聞きたいと思います。
 6月の初めから中旬にかけて全日本は5試合やった。そこで、この全日本が“モスクワ”に行けるだろうか、と考えがすぐそこに直結するわけですが、この間の全日本の問題についてもう少し詳しく聞かせて下さい。
 今度全日本の新人としてケルン戦で注目された金田や、その他の若い選手について、19歳から21歳ぐらいの年代で出てきたら、ことに彼らはボールも扱えるのだし、外国の若い選手がやるのと同じようにすぐにでも活躍してほしいと思う。ところが日韓戦ではやはりダメで、これから激しい試合の経験を積めばできるんだ、ということだった。これまでの日本サッカーを見ていたら欲張りな気もするが、それでもやはり、あの年代で出てきた選手にも問題がある。

大谷 問題はありますよ。激しいプレーに耐えられるようになるには、一つには本人の問題があり、それから指導者の問題がある。激しさに耐えられるように、また本人にあった闘志というか、それに絡んだプレーを身につけさせる指導ができるかということ。本人が、今度はあの激しさに負けないように、あの手でいこうとか、自分自身で考えるか考えないか、その2つの面がある。ただああいったボールを扱える選手がたくさん入ってきて、そういった選手を中心に育てていくということになるといい。それには何人か入ってこなければいかんわけで、中学、高校にはあのぐらいやれるようになる選手がいっぱいいる。しかしそれが伸びていない。芽をつぶさないで、うまく伸ばしてやるということを、上の方でも、同じように技術を優先した方向で、選手を伸ばす指導が必要になる。


激しいプレーとは何か

――若い選手がまだ激しさに耐えられないという問題。だから彼らを伸ばすのは、激しさをつけることだはないのですか。

大谷 激しさとはどういうことか――バンとぶつかって勝つことをいうのかどうか。

――強さ、特に競り合ったときの強さだと思いますが。

大谷 その競り合ったときの強さといっても相手をおしのける強さなのか、すり抜ける強さなのか、早く先に出る強さなのか、それで大きな違いが出る。機先を制して相手の強さを封じるということなど、勝負の強さは色んなことから出てくる。強さを、肉体的な面からばかり見ていたのが、従来の考え方だった。走ることでも同じ。その長さの問題ではなく、どれだけ生きた走り方をするかということの方が大事でしょう。

――この前の日韓戦に負けたときも、そういったものが出ていたのですか。

大谷 ぶつかるというより、最初にボールを持った時の姿勢にまで出ていた。例えば2点目を取られたとき、キーパーからすぐ前のバックに渡したのを横取りされたが、バックの選手には横から出てくる選手への注意力が全くなかった。
 精神的な厳しさに負けているし、肉体的にいえば、応じられる構えをしていない。伸びきった姿勢で、遊んでやっているときのような、とてもタイトルマッチのものではなかった。厳しさというのは、五分五分のところにボールがあって、勝負する場合、どちらが早くスタートするかで、当たらなくても取れるのだが、日韓戦では、全部遅れていた。韓国の選手の方がボールがここへ来ると、早く判断していた。

――その厳しさでも体力の問題と切り放せないと思いますが。

大谷 いま厳しさというのは体力の問題ばかりでないといった。それはある程度の最低線があれば、例えば早くスタートを切るための筋力とか、しかし、その前に判断を素早くすることで、こっちが勝てる条件はつくれる。いくら鍛えても、向こうも鍛えてくるわけだし、そこでどうしたら勝てるかということを応用していく必要がある。
 例えば外国の選手には、小さいがうまい選手はいくらでもいるが、彼らはそういった方法で相手の力を出させないとか、相手が力を出す前に勝負するとかして、勝っている。サッカーはそれができるから面白いので、体力のあるのがいつも勝つのだったら、一つも面白くない。あの小さいウーベ・ゼーラー(元・西ドイツ代表)が、ヘディングで勝てる、そこが面白いのです。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1977年8月25日号)

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