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日本のスポーツの特異性 その2

一貫指導ができない構造

 1976年3月モントリオール・オリンピックの予選に敗れたとき、日本サッカー協会の技術委員会は、トップ不振の原因と対策について約7時間に及ぶ論議をかわした末に、指導の一貫性が必要だということに落ち着いたという。いいかえれば、選手を育てる過程で、従来は一貫した指導がなかったこと、そしてこれからは一貫した指導をしなければ伸びないことを認識したわけである。これで協会の技術指導はようやく核心に近付いたと思われた。
 そこで、この認識のもとに協会は以後、具体的にどんな対策を立てたか、またどんな対策をなお立てなければならないかが問題になるのだが、それに移る前に、我がサッカー界ではなぜ一貫指導がなかったかを確認しておかねばならない。すでに明らかなように事実は簡単である。サッカーに限らず、日本のスポーツが学校スポーツであったこと、そしていまもなお中学生から高校生までの、選手を育てるに最も重要な段階が学校スポーツに握られていること、この仕組みのためなのである。

 例えば小学生の頃から始めるとして、中学−高校−大学と進学して、最後にどこかの企業でやることになれば、指導者は4回代わり計5人から、3、4年刻みに、互いに脈絡のない指導を受けることになる。しかもスポーツをする場(選手が所属する組織)もそのたびごとに移り変わらねばならない。選手は同じ指導者からコーチされたいと願っても、そんなことはできない仕組みである。したがって一貫指導は期待できないものだとしてやってきた。要するに、スポーツ界の構造そのものが指導の一貫指導を阻んでいるわけで、これも日本のスポーツが持っている技術指導上のまったく特異な条件といえるだろう。サッカーを含めて大部分が同じ条件を背負ってきたのである。


協会が立てた対策

 こうした事態に対してサッカー協会は1976年からセントラル・トレーニング・センターと呼ぶ英才教育制度を始めた。全国から素質優秀と認められた少年を集めて、細切れ指導の結果を個人的に修正して将来性を伸ばそうと考えたのである。そのセントラル・トレーニング・センターが1980年度からはナショナル・トレーニング・センターと呼ぶ制度になって、将来の全日本代表選手の供給源になるという構想が79年の夏に発表されたが、これが現在での一貫指導対策の一つである。
 発表によると、これは1988年のオリンピックを目指す強化の柱でもあり、都道府県、地域にも各トレーニング・センターを設けて、それを積み上げた形でナショナル・トレーニング・センター(NTC)があり、初年度は88年のオリンピック時に23歳になる中学3年生を最少に、高校3年生までを140人集めて年2回、2泊3日の集合研修を行なうとともに、平素は週2回日本リーグのチームなどの上級チームの練習に参加させ、厚い層からの積み上げ方式で連続性を伴った着実な向上を狙うのだそうだ。

 こうした対策とともに協会は、“一貫指導への道程(年齢と発展段階におけるトレーニング)”を発表した(いずれも協会ニュース『サッカー』の第5号に詳しく載っている)。これは、小学生から大人までの4段階を一連の発展過程とみて、各段階では何を教え、どの程度の能力にまで育てればよいかを大まかながら示したもので、コーチの指針として一般チームのために有効だろう。東京オリンピック以後、大いに普及した少年サッカーの指導者などが、かねてからこの種のものを求めていたのを思うと、協会もようやくそれに応えられるところまで来たのは結構なことだ。英才教育のナショナル・トレーニング・センター構想よりも、広く一般レベルのためにもなる“一貫指導への道程”の方が、日本のサッカー事情では先に必要だったと思われる。

 以上の2つが協会が決定した一貫指導対策である。一貫指導という選手づくりの基本問題に目覚めてから4年、ようやくそれに取り組みかけたのは、遅すぎた感じもするが喜ばしいことだ。しかし私はこの二つだけでは不十分だし、むしろ本当に肝心な点が欠けていると思う。そこで日本協会の平木技術委員長に、この他に一貫指導への策はないかと尋ねたら、概略次のような答えがあった。

 日本リーグのチームなどはクラブにして子どもから大人までの各段階のチームを持てばよい。読売クラブは非常によい例だが、さほどの素質があるとも思えなかった選手が実に素晴らしい伸びっぷりを見せている。三菱の養和クラブのユースにしても、某大学の1年生とミニ・ゲームをして大差で勝つほどに育っている。大阪の枚方クラブの例もあるし、自分としてはクラブ・サッカーが一貫指導という点で有効だと認めている。だから先のワールドユースの代表を選ぶ際にも、学校チームばかりを見ないで、クラブチームも見なさい、と監督に勧めた。国体の少年部にはクラブからも出られるよ、といっている。また技術委員会の委員の間でも、一貫指導ができて、良い選手が育つにはクラブチームが望ましいという点で意見は一致している。
 それを聞いて私は、そこまで認めているのならば委員会として理事会へ、クラブチームが、学校チームと同じように試合をやれる制度にしてくれと注文したか、とさらに問うたら、同委員長はそれはしていないということだった。なぜならばまだその段階に至っていない、という。いまはその全段階で、まだ一般の認識が低いので、事実をできるだけ見せたり説得したりして一般認識を高めるのが先だという見解だった。
 私は少なからずがっかりした。


構造不振は構造改革で直せ

 技術委員会のこの考え方は本末転倒ではないかと思う。すでに明らかなように、一貫指導ができない原因は、学校サッカーに乗ってきたサッカー界の構造そのものにあった。協会もナショナル・トレーニング・センター発表の際に同じ見解を示している。原因が分かれば、その原因を何とかできないかとまず考えるのが順序ではないか。つまり一貫指導は構造からきていると分かれば、構造を手直ししようと考えるのがまともな本筋である。ナショナル・トレーニング・センターなどはその次にくるものである。

 一貫指導にとどまらず、すでに2回にわたる日本のスポーツの特異性の説明で、日本サッカーの伸び悩みはサッカー構造の特異性からきているという意味で構造不振と呼ぶことができるだろう。構造不振は構造改革で打開する以外に本当の打開策はない。その他の方法は根本的な解決にはならないだろう。
 遊びとしてのスポーツの本質をサッカーのなかに取り戻し、自由闊達で自主的なサッカーにし、また広く普及した少年サッカーはもちろん、いま広がろうとしているレクリエーション・サッカーをも基盤に抱え込んだ幅のあるピラミッド型のなかで、一貫指導もできるのは会員制のクラブ・サッカーなのである。だから日本のサッカー界を全部クラブ・サッカーに切り替えて、学校サッカーを潰せなどといっているのでは決してない。
 100年に及ぶ日本サッカーの歴史を支えてきたのは何といっても学校サッカーだし、その勢力は強固であるだけでなく、それなりに良い面もある。だから構造改革といっても、学校サッカーを排して全面的にクラブ・サッカーに塗り替えられはしない。しかし、サッカーというスポーツの発展には、クラブ・サッカーがより有効だと分かれば、それにも生きる場を与えよというにすぎないのだ。つまり学校サッカーだけしか公式サッカーをできない構造部分を手直ししてクラブ・サッカーも一緒に参加できるようにすればよいだけのことである。学校サッカーも従来どおりに生き、またクラブ・サッカーも生きられる共存体制をつくればよいのである。

 クラブ・サッカーには、グラウンドや財力もまた大切な条件ではあるが、学校サッカーとともに試合ができる公式の場を与えられることが、いまでは第一の条件なのである。協会の規約の上では、2年前からそのための競技会はすでにできているにも関わらず、実際には高校と中学の段階では学校チームだけが出場できて、クラブチームには門戸は開かれていないという矛盾した実情になっている。
 したがって協会に登録したクラブチームはまだごく少数であるが、この門戸さえ開かれたらクラブチームはどんどん増えてゆくであろう。すでにサッカー・スクールやスポーツ少年団で少年を育てた指導者には、中学生段階でも試合ができるとなれば、すぐその年齢のチームをつくりたいという人は少なくない。それが現実化すれば、そこで育てた中学生年齢の選手をさらに高校生年齢まで延ばして育てたいとする気運は当然に生まれるだろう。すでにクラブ仲間で2回開催された全国クラブユース大会にしても、1回目の4クラブが2回目にはPRもしないのに7クラブに増えた。

 要するに、認識を広げて気運を高めてから場を与えようとするよりも、場を与えれば自然に認識は生まれ、気運は高まって、ことは早く運ぶと考えた方がよい。クラブ・サッカーが望ましいならば、まずクラブ・サッカーが生まれやすく、また存続できる体制をつくるのが、サッカー界の組織を握っている協会行政の在り方ではなかろうか。


構造改革への出発合図はすでに出た

 いまもいったように、クラブ・サッカーも生きられる構造にする協会の規約はすでにできている。その原点ともいえるのが年齢別登録制だが、それに伴って、クラブチームもともに参加できる競技会の規約もできている。
 まず加盟チームの種別だが、従来は第一種は一般団体、第二種は単独の大学か高専のチーム、第三種は単独の高校チーム、第四種はスポーツ少年団チーム、第五種は単独の中学校チーム、第六種は単独の小学校チームと、6種別のうち4つまで学校チームが占めていた。小中学生で編成されるスポーツ少年団は学校以外のクラブチームにあたるが、同年齢の学校チームとは分離して扱われた。第一種の一般団体に、企業チームやクラブなど学校チームでないチームが全部一括して扱われた。
 それが1977年度の寄付行為細則第2条で第一種は年齢制限なし(実際には大人主体のチームを指す)第二種が19歳未満、第三種が16歳未満、第四種が13歳未満と年齢層で分けた4種別に変わった。学校チームも企業チームもクラブチームもこの中に包括されて同じ扱いを受けることになった。ここで初めてサッカーは本来のスポーツとしての出発点に立ったのである。

 これに伴って、協会はこの種別ごとに競技会を催すことを規約で決めた。競技会開催規程第3条の「本協会は寄付行為細則第2条による種別の加盟チームに対して平等の参加資格が与えられる競技会を主催する」とあるし、さらに念入りに同第13条にも「加盟チームの各種別に対して次の競技会を開催する」としたあとに第一種、第二種、第三種、第四種それぞれの加盟チームに対する大会を列記している。また同規程の第30条には「都道府県および地域協会が本規程第3条の趣旨にそって開催する競技会の形式は規制しない」と書いているが、これは同第27条で都道府県協会と地域協会の競技会に関係する規程は日本協会の規程に準ずるとしていることと考え合わせて、都道府県と地域でも協会は日本協会同様に各種別競技会を主催するのを当然のことにしていると解釈してよいだろう。ただその形式を勝ち抜き式でもリーグ式でもよいといっているのである。

 以上によって、すでにクラブチームを含めた競技会が開催されるはずである。全て原則は施行とともに、内容を実行するのが常識である。日本協会でいえば、第一種(大人)と第四種(小学生年齢)は実行しているが、肝心の第二種と第三種は実行していない。その他の協会の場合はいっそう遅れて完全に実行しているのは第四種ぐらいだろう。これは単独小学校チームはごく少ないからである。
 とにかく規則に書いたが、まだ機が熟していないからとか、困難だからとかで実行はお預けというような規則は規則といえない。協会は日本スポーツ界では画期的といわれた年齢別登録制で構造改革の出発点に立ち、規程施行で威勢よくスタート号砲は鳴った。ところがさっぱり走ろうとしない。これは協会の責任感の問題でもあろう。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1980年1月25日号)

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