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“欧州”へ行けばうまくなれるのか


 9月14日に行なわれる全日本とコスモスの試合が、釜本の引退試合になり、これでメキシコ五輪で銅メダルを取った選手はすべて、全日本から去る。これは、日本サッカーの一つの時代が終わり、新しい時代を迎える大きな転換点といえるだろう。そこで、あのメキシコのことを中心に、現在の全日本と対比しながら、いろいろな問題を聞いてみた。


クラマーと日本代表

――メキシコ・オリンピックのことについて話を聞きたいのですが、まずメキシコ代表の選手たちについて何か話して下さい。

大谷 何かといわれても困るが……やはり頼りになるという印象をみなさん持っておられるんじゃないですか。

――そうですね。東京オリンピックからあまり顔ぶれが変わらなかったということもあり、非常に信頼感を持った。

大谷 今は代表から出たり入ったりが激しく、4年も5年も顔ぶれを変えずに鍛えていくということがない。逆にいえば頼りになる選手がいないともいえるのだが……。メキシコのときは何といってもクラマーという指導者がいたことが大きい。クラマーが、ほぼ、目星をつけた選手を中心に東京オリンピックを目指したわけで、そのときの選手を軸にして、メキシコにつないでいった。メキシコ・オリンピックのときは長沼監督、岡野コーチにチームを渡していたが、実質的にはクラマーの息がかかっていたし、その指導が生きていた。もちろん、まだ指示もやっていた。

――メキシコの選手はみんなクラマーの指導を受けていたということですね。

大谷 そうです。日本の指導者と対比していうのは悪いが、同じことを教えるにしても素晴らしかった。例えばクラマーが彼らを連れてヨーロッパへ遠征に出ても、何を教えたらいいか、何を選手に掴ませたらいいかということが実に的確になされていたと思う。ヨーロッパへ行っても、指導者や選手に受け入れ能力がなければ何にもならないわけで、それを理解し、その中でどれが日本に導入できるのか、それをどういう風に変えて入れるのかが問題になるわけです。

――ヨーロッパ遠征については、現在、全日本が2ヶ月ほど行っており、これとも関係してくるんですが。

大谷 受け入れ能力といったが、理解する能力といってもいい。プレーや試合を見て、それがいいからといって、全て真似できるわけではなく、体力とか環境とかいろいろ違う。どこをどう掴んでいったらいいのか工夫できるものが行って初めて効果がある。

――全日本の選手が効果を上げられるかどうかも、そこに問題があるわけですね。

大谷 現在遠征している選手と親しく接しているわけでもないし、効果が上がるかどうかは分からない。ただ、メキシコ五輪以後何回かやって、同じような経験を積んできても、クラマーがやったときほど効果が出ていない。それは、やはり一つには指導者や選手の受け入れ能力の問題でしょう。まあ、クラマーがいたかいなかったとかいうことは、メキシコの選手について話すときに非常に大きな問題となってくるわけで、というのは、今の選手が、まだまだ第一段階でちゃんと鍛えられているかどうかという問題がある。

――最初に出たメキシコの選手たちが頼りになる印象を与えたということ、それはプレーでいうとどういうことになるのですか。

大谷 それは一言でいうと個性があったということだ。宮本輝、宮本征、渡辺、鎌田……みんな、こいつはできるというプレーを持っていた。渡辺だったら、小器用じゃないが、突如得点を取ってしまう、彼しかやれないことをやる。今の選手にはそういうものが少ない。つまり何か自分の特徴として自信を持ったプレーがやれない、ということで結果として頼りにならないということになる。いわば規格型で、全部70点か80点で、本当の勝負になると一つぐらい60点があっても、90、95点のものを持っているのが生きてくるわけだ。
 それから、前号でも国際的に通用する個性という話が出たので、それとも関連してくることだから、もう一度個性ということについて話すと、まず個性というのは、そのはじめは自分で考えるということから始まるのです。これが個性を持つための前提となるわけだ。そして国際的にも生きるということは、個性だけが生きるのではなく、一般的なボール扱いなどを持っていないといけないわけで、何も持ってない者が、個性あるプレーをやれるとは考えられない。つまり一般的な技術などのレベルがあって、そのうえで何を持っているかということになる。一般的な技術が個性を決めるのでなく、一つの技術レベルがあって、特色のある個性というものがないといけないわけです。


相手に勝てるプレー

 そして、いまの選手はその一般的な技術レベルが、特にボール扱いがまだ低いということがいえるわけです。その「低い」とはどういうことかというと、対敵動作がまずいということ、そのレベルが低いということなのです。メキシコの選手たちというのは、対敵動作という面で、効果のあるボール扱いができていた。それは、単にボールを扱うということだけでは、いまの選手ほど、そうカッコよさはないかもしれないが、相手がついてくれば、その相手に打ち勝てるようなプレーができた。

――そういった対敵動作などの技術がうまくなったというのには、クラマーの指導、それに年月というものが大きかったといえるわけですね。それと、先にも出た受け入れ能力ということが大きなポイントになっている。これについて、もう少し詳しく聞かせて下さい。

大谷 一つのいいプレーを見た場合、その感心の仕方の違いにいろいろある。例えば、Aは、素晴らしい、とただただ感心した。Bは体の動きをしっかりと見てとって、肉体的なよさから来るものを理解した。そしてCはそのプレーヤーの判断というか、プレーする前の動きから、判断力の良さというものにまで目を付けた、ということがある。その感心する程度の差が、それが能力の差になるわけです。これは年月だけではなく、天性そういうものを感じるものがあれば一番いい。

――そうすると、メキシコの代表選手たちはそういう能力が優れていたというわけですか。

大谷 それは、一口にいえないわけで、そこにクラマーの力が働いてくるのであって、クラマーは、この選手にはこういうことだったらやらせられるということを適切に指導したのではないかと思う。ヨーロッパの何を学ばそうかと、これが指導者の腕になるわけだ。それから原則的なことをいえば、指導者が教える前に、サッカーというのは自分で吸収して自分で判断してやらないといけないのだから、そういう意味で、まず選手自身に掴ませるということはある。その中で全然自分で気付かないような選手もいるわけで、それは代表から落とさないと仕方がない。それからちょっと掴みかけているのに分からない、というような場合は、コーチがポイントを教えてやればいいということになるわけです。


吸収能力の問題

――現在、日本では全日本をはじめ、個人的にも日本リーグの古河や日立で、ブラジルのパルメイラスに留学したりして、こういったチャンスはいっぱいあるが、やることは非常にいいことだと思いますが。

大谷 チャンスを与えることは、それは悪くない。財政的にやれるのなら。しかし今まで、チームや選手の何人かがやってきたけれど、それで見違えるようになったというのはどれほどあるか。

――まあ極端にいえば釜本が一人で西ドイツに留学して、すごくうまくなったというのがあるだけかもしれない。

大谷 トレーニングを一緒にしても、チームの中の選手の一員になって、ある期間やらせてもらわないと、なかなかモノにはならないと思う。釜本の場合は何回かチームに入って試合をしている。
 話を戻すと、行ってきた選手やチームが、帰ってきて、すぐでなくても、それ以後、新しいもの、違ったものを吸収してきたというものが見えないということが多すぎる。となると、吸収能力のない者は行っても仕方がないということになる。それよりも、国内で自分で工夫しさえすればやれるものがいっぱいある。こっちが考えようともしないで、立派なものを見さえすればやれるようになるというのは、大きな錯覚で、国内でも考え工夫して掴めるぐらいの能力のある選手が行って、はじめて向こうへ行って役に立つ。まず考えてみるということなんだ、大事なのは。

――しかし国内で自分で工夫するというのはどういう風にですか。

大谷 例えば外国のチームが来た、あるいはアジアの大会へ行って負けて帰ってきたという場合、どこが違っていたのか、どうしたらあのとき勝つことができたのか――一つひとつ考えないでうまくなろうというのは、どだい無理だ。それから、技術的な問題点は、国内の試合で、日本リーグの試合でもいくらでも出てきている。

――考える材料はヨーロッパへ行かなくてもいろいろあるということですね。でも、国内にいると油断が出てくるというか、緊張がなくなってくるということがあるんじゃないですか。

大谷 そんなことでは、話にもならない。うまくなろうという者が、そんなことではいかんじゃないですか。
 まあ、古い例になりますが、ベルリン・オリンピックのときに初めてスリー・フルバックを経験したことがあった。思想的には外国の本とかでそれまでに知っていたし、また実際にも、それに近い布陣を徐々にとりつつあった。そして向こうへ行ってスリーバックのチームと実際に練習試合で当たって、大会までに1週間か2週間もなかったが、すぐに、その戦法をとり入れて試合に臨んだ。そして、それでスウェーデンとやって勝ったわけだ。その吸収能力は実にすばらしかった。
 これは、事前に日本で、国内試合からCFのマークということについて、いろいろ考えて、CHを下がり目に置いたりしたチームもあったから、つまり、そういうものを自分たちで考える能力のあった者がいたから、あのとき咄嗟にとり入れられたわけだ。あの時代は、そういう風潮にあったのだが、日々の問題をいつも考えているかどうかが問題になるわけだ。これはもちろん、個人の場合にも当てはまることで、そういう点で、いまは工夫している選手が少ない。それが規格型の選手で、自分で工夫する選手が初めて、個性のあるプレーが、つまりその選手にしかできないプレーができるようになってくるわけです。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1977年9月10日号)

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