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コーチへの助言 その1

実践的に教えよう

 名選手必ずしも名コーチではない、とよくいわれる。コーチの本務はプレーすることではなく教えることにあるからである。そのためにはサッカーを知っているだけではなく、サッカーの教え方を心得ていなければならない。そこがプレーヤーと違うところで、そのための特別教育がプレーヤー育成につながる重要な課題とされ、コーチング・コースなどが盛んに開催され、その特別教育を受けた証(あかし)のライセンスは今では大いにものをいう時代となった。戦争前とはもちろん、10年以前と比べても大きな進歩といえるだろう。
 ところが次のような納得しにくい場面が一般レベルに限らず日本リーグ1部や日本代表にさえもしばしば起こっている。練習ではボールを上手に扱っていた選手が、いざ試合となって敵が現れるとそのボール操作は意外に乱れ、トラッピングしたボールが大きく飛び出して敵に奪われたり、せっかくボールは止めたが同時に敵への準備になっていないがために次に来る敵に対するプレーへそのまま移行できないで行き詰ってしまうとか、また敵がどこにいてどう動こうとしているかも構わずパスをしてはすぐ読まれてカットされるといったようなことである。
 クラマー・コーチの来日以来、ボール操作の技術が長足の進歩を遂げたのは周知の事実なのだが、なぜその技術が敵が現れると乱れ、対敵プレーに結びつかず、敵の存在を考慮しないプレーになってしまうのか。先般のワールドユース大会の際に、ある外国チームのコーチが、日本チームはよく走り、技術も悪くないが、戦術面で未熟だ、という意味の批評をしていたようだが、おそらくこうした点も突いたのであろう。

 思うに、ボールに対するプレーと敵に対するプレーを別個に教えているのではなかろうか。まず先にボールを操作できないと話にならないからといって、それをできるようにしてから、そのあとで対敵プレーを教えると、実際には両方のプレーは意外に結びつきにくくて、こうした結果を招くことが少なくない。頭でサッカーを分析したり組み立てたりしていると、このようになりやすいのだが、こんな練習は非実戦的なのである。
 試合では常に敵がいる。だから試合でのあらゆるプレーは一つとして、ボールとの関係と敵との関係が分離されてはいけない。常に両方の関係へ同時に対処しなければならない。敵が近かろうと遠かろうと、全てのボール操作は対敵プレーにもなっていなければならない。練習のときからそう仕向けてゆくのが実戦的なのである。

 こうしたことから、練習でも――それがボール操作の練習であれ動きの練習であれ――できるだけ敵を想定させながら、あるいは敵に代わるものを配置して練習するのがよい。それも試合中に起こる実際の場面を設定して行なうのがよい。いろんな要素が絡み合っている試合から導入して、そこでプレーヤーが何かのプレーに行き詰ったところで教える方法である。すでに分解されてばらばらになった部分プレーを順番にやって、それで全ての要素を分からせたら、試合ではそれを組み合わせればよいはずだが、実際には試合にならないのだ。
 常に実戦場面から入ってゆくと、ある場面にはこうしたプレーが必要だということも逆にあるプレーはどんな場面で使えるかということも非常に理解しやすい。そうしてある場面に対処する一つのプレーをしっかりとつかめたら、その結果は意外なほどに他の場面にも対処する突破口となるものなのだ。実戦的プレーのコツを知ることになるだろう。

 いわゆる基礎技術といわれるものについても同様である。分解過程を知らないで分解された末に残ったもの(基礎技術といわれるもの)から出発すると、その技術がどんな場面に役立つかといったような使用目的が理解しにくいから、それ自体も身につきにくいし、試合でも使いどころと結び付きにくいだろう。それにひきかえ、試合の場面から導入してゆくと、自分も分解過程を経験することになって、基礎技術の大切さも理解しやすいだろう。


ポイントを押さえて具体的に教えよう

 またさらに、具体的に教えることを勧めたい。今述べた実戦的な教え方も具体的な教え方の一つだともいえようが、経験の乏しい若い年代層にはこの具体的というのが特に必要である。
 例えばシュート練習でボールが高く上がったり、横にそれたり、うまく当たらなかったりと失敗したときの注意の仕方だが、聞いているとこんな注意叱責がよく飛ぶ。「しっかり蹴れ」「もっと抑えろ」「しっかり当てろ」といった類のものだ。いずれも似たり寄ったりで、せいぜい気分を引き締める以外に何の効果もなさそうだ。
 いや、これでミスの原因もすぐ自覚でき、すぐ直すことのできる者にはもちろんそれでもよかろうし、そんなプレーヤーにはいちいち注意しないのがかえってよいくらいだ。だが中学生や高校生などのまだ自分では分からない者にはこんな注意はほとんど効果がない。もっと具体的に教えてやることだ。

 今のシュートの例でいえば、シュートはキックの一つだからまずキックとしてのポイントがある。立ち足をボールの横に蹴る方向に向けて踏み込むこと。その立ち足は膝を突っ張らないで少し曲げ、上半身は前屈みにならないでその上にしっかり乗っていること。肩、肘などに力を入れないで上半身をリラックスしておくこと。蹴り足を大きくバック・スイングし過ぎないこと。足首はぐらつかせずにボールとの接触面(インステップ、インサイドなど)を的確に使い分けること。目標は前に見ておいて瞬間はボールをよく見ていること、などがそれである。シュートは、それに高く上げないためのポイントとしてボールをすくい上げないことだが、これは立ち足の踏み込み位置と上半身の立ち足への乗り具合とに吸収されよう。
 ほとんどの失敗はこれらのポイントのどれかが乱れたときに起こっている。だからミスが起こって注意しなければならないときは、コーチはそのポイントのどれが悪いかを、例えば「立ち足が遠いぞ」とか「ボールから目を離したぞ」と言ってやるのだ。それが具体的な教え方である。「しっかり蹴れ」よりもはるかに分かりやすい。

 パスを簡単にカットされる場合の注意にしても「敵を見て出せ」といった類の注意では理解しにくい。
 この場合の原因は根が深いから一言の注意で片づけにくい。つまり姿勢が悪くてボールを持ちながら周囲が見られないとか、ボールのコントロールに自信がなくてボールばかり見ているとか、ボールをキックする動作が大きいために、また体の構えがはっきりし過ぎているためにパスを読みやすいとか、のポイントがあって、それが敵を見ない原因になっている場合が多い。そのようなときは「敵を見て出せ」ではすぐ解決しにくい。どうしても今述べたようなそれ以前の、なぜ敵が見えないかのところ(ポイント)まで戻って、その原因を教えてやり、それを直すための練習も考えてやらないといけない。この場合はそれが具体的な教え方となる。

 これで分かるように、具体的な教え方をしようと思えば、コーチはどんなプレーに対してもそのポイントを知っていなければならない。そのプレーがうまくやれるかやれないかの分かれ目になる要所、もっと簡単にいえばプレーの勘どころを押さえることだ。どんなプレーにもそれがいくつかある。新しいプレーを練習するときには、必ずそのプレーの目的(使いどころ)とこのポイントを一応プレーヤーに理解させておく必要がある。先にも言ったように、失敗の原因は必ずこのポイントのどれかにあるはずだから、プレーを見るときには素早く各ポイントをチェックできるようにならないといけない。
 プレーは複雑でも教え方は簡単なのが分かりやすい。ポイントを押さえて具体的に教えるのは最も簡単な教え方である。ポイントというのは、ただそれだけで周辺の関係部分が全て自然に良くなったり悪くなったりするところだから、枝葉末節までくどくど説明する必要はない。

 だが失敗の結果は同じでも、その原因は体つきや癖や注意力などの違いによって各人必ずしも同じではない。だから失敗はプレーヤーごとにそれぞれに原因となるポイントを見分けねばならないのは当然だ。さらに一人のプレーヤーについても失敗のポイントがただ一つではなく、複雑にまたがっているときもある。そのときはあれもこれも全部一度に指摘して直せというよりも、それらのなかの最も重要な役割を演じているポイントをまず直すことから始めるのがよい。そこを直せば自然に他のポイントも直ってゆく場合もある。もちろんコーチにはそれを見抜く目が必要だが、それができれば非常に簡単にことは進む。
 また一人のプレーにキックにもドリブルにもパスにも失敗が起こるときを見ていると、ある共通した原因からきている場合がよくある。つまり一つのプレーだけでなく色んなプレーに共通したポイントに欠陥があることが分かるのだが、そのときは、その一つさえ直せばよいのだ。そんなポイントを押さえられたら一層ことは早く進む。  そのように、いろいろの戦術プレーの欠陥の大きな共通原因となっているポイントに姿勢がある。それについてはすでに幾度か触れたけれども、ボール技術(ボールとの関係)にばかり気を奪われると姿勢を忘れることがある。姿勢はボール技術と対敵プレーとの接点にある非常に重要なポイントだから、実戦的プレーをやらせるには常に忘れてはならないチェックポイントである。

 以上をまとめれば、実戦的には試合の場面での敵を常に考慮し、プレーのポイントを押さえて具体的に、簡単に分かりやすく教えろということになる。それには、どんな試合場面を選ぶのが最も効果的かを決められること、失敗のポイントをすぐ見抜けること。ポイントの軽重が判断できること。これらにコーチの手腕評価がかかってくる。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1979年11月25日号)

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