賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >年齢制の競技会

年齢制の競技会

協会に加盟すれば、だれでも公式試合ができる

 従来の学校制度を持ち込んだ加盟制度時代では、仲間とチームをつくって協会の公式試合に参加しようと加盟を申し込んでも受け付けてもらえない場合がいくつかあった。
 例えば、6年前の1974年までは、学校のサッカー部に属さない大学生が、同じ大学の仲間同士で同好会をつくって協会に加盟しようとしても、受け付けてもらえる種別がなかった。第2種は単独の大学チームだから、そこへでもと思っても、当時の第2種競技会はすべて大学連盟が共催で1大学1チーム制で、学校体育会のサッカー部チームが入っておれば余分に加盟することは許されなかった。では、第1種が年齢的に適当だろうと考えても当時の第1種は社会人主体のチームと規定されていて断られた。この場合、関西でもサッカー人気が高まろうとしている折でもあるので、サッカー愛好者を閉め出すことはなかろうと第1種に入れる柔軟な特別措置をとったが、日本協会のひざもとの関東ではかたくなに拒否した。また2つ以上の大学の学生がつくった同好会チームでももちろん同様に扱われた。関東では彼らは協会とは関係なく同好会リーグを結成して試合をした。

 50年度から日本協会は財団法人になったのを機に第1種を一般団体として第2種から第6種までのチーム以外のチームがそれに相当すると規定したので少し収容範囲が広まり、学生同好会も正式に参加の場が出来たけども、関東ではその後も相変わらず拒否されたとか聞いた。
 高校生の場合は、同校生のチームであれ、他校生と組んだチームであれ、また同学年齢層の職についた人たちのチームももちろんのこと、第3種は学校代表チームで高体連に加盟するチーム以外にはまったく門戸が閉ざされていた。学校チーム以外は、年齢的に他の種別へ入り込む余地もなかった。中学生の場合は、学校チーム以外では、スポーツ少年団は許されたが、それでも試合はスポーツ少年団だけの競技会に限られて、学校チームとは別扱いされた。
 それが3年前の1977年に年齢別の種別による加盟制度になったので、以上のような差別扱いはまったくなくなる建前となった。理論としては、サッカーを希望する者すべてに協会加盟を許し試合の場を与えようとする制度が出来たのである。そして種別ごとの競技会さえ催せば、その建前は現実のものとなるはずだった。

 スポーツは、イギリスの貴族の遊びとして始まったといわれるが、もうとっくの昔にそんな階級制はなくなって、現在ではすべての文明国ではスポーツはすべての人に開放されている。日本でも学校体育として発展したが、もうそれに縛られる時代ではない。もうスポーツを身分や職業などの条件で区分する時代ではないのだ。もしスポーツを区分しようとするならば、性別か体力差による以外には理由はない。そしてその体力差を基礎にしたのが年齢による分け方であり、それが世界のスポーツ界の常識なのである。
 日本は遅れていたが、日本サッカー協会が年齢制を採用したのは、日本のサッカーが世界に追随しようと願うにはどうしても解決しておかねばならない第一の基礎条件がそこで初めて整ったことを意味したのである。
 ところで、年齢無制限、19歳未満、16歳未満、13歳未満という分け方は、また同時に日本の歴史的特殊性である学校サッカーを排除するものではなく、そっくりそのまま存続させることも出来る分け方なのだ。しかもいま広がろうとしている市民スポーツをも仲間にすることができるし、競技スポーツが願う競技力の向上にも好都合なのだ。八方円満これほどのよい制度はない。一つとして被害を被るものはない。サッカーは他の団体競技に先駆けて採用したこの制度を生かして、日本のスポーツを新しい時代に沿った新しい方向へリードすることさえ出来る。後はこの制度にしたがった競技会を早く開催しさえさえすればいいのである。


協会に開催責任がある競技会と現状

 では年齢制に伴ってどれだけの競技会を開催しなければならないのか、そのうちなにがすでに実現していて、なにがまだ実現していないのかも見てみよう。この場合に協会が開催責任を持つ競技会とは、種別ごとに加盟チームがすべて差別なく同じ扱いで参加できる競技会で、協会が他の団体の共催を必要としないで単独主催し運営するものを指す。日本協会主催(全国規模のもの)、地域協会主催(地域規模のもの)、都道府県協会主催(都道府県規模のもの)の3段階で考えられる。
◇第1種
 全日本選手権、がその全国ものにあたり、すでに行なわれている。だが地域と都道府県ではこの全日本選手権の地域大会と都道府県大会とは別に、それぞれ選手権かリーグを行なわねばならない。参加チームの試合数を満足させるためと競技力向上のためにはリーグ制が望ましい。この場合は都道府県を主に考え、地域はその上位を積み上げたものにすればよい。
 実際にはそういう形式でほとんどの地域と都道府県にすぐ第1種大会に切り替えることが出来る競技会が以前はあったにもかかわらず、どういう考え違いか年齢別とともに社会人連盟ができて、すべての地域リーグと都道府県レベルのいくつかを取ってしまった。そうなった事情はいずれ各種連盟について書く際に明らかとなろうが、そのために社会人連盟がにぎった地域と都道府県では新たに第1種競技会をつくるか、社会人連盟からとりもどして第1種に切り換えるかをしなければならないことになった。

◇第2種
 第2種では3段階を通じて年齢別による第2種競技会と呼べるものは何一つ実現していない。ごく末端で上部競技会につながらない高校の2年生以下大会にクラブチームを出場させているところはあるが、新制度としては空白地帯といってよかろう。すでに高校の全国大会は二つ行なわれていて、その予選もそれぞれにあるのだから、新たに第2種大会を設けるのは実際にスケジュール上で無理だろう。だから協会のものである正月の全国高校選手権大会を第2種大会に切り換えるのが順当な方法である。現在はいかにも高体連のもののように行なわれているが、もともと協会独自に始めた大会であり、学校側にしても夏に高校総体を持っているのだから、正月の大会まで独占して2つも自分たちだけの全国大会を持つ必要はないと思われる。
 それにもかかわらず協会は新制度の4年目を近く迎えようとするときに、第2種競技会開催の気配はまだまったくなく、準備工作もどの程度進んだかもわからない。寄付行為細則では第2種競技会実施委員会あるいは準備委員会でも設けられてしかるべきなのに、相変わらず全国高校選手権実行委員会は存続している。その間の事情説明もない。
 正月の高校選手権大会がもし第2種競技会に切り換えられると、その予選をその段階の第2種競技会としてもよかろう。チーム数が最も多い種別だからさらに試合を地域以下で増やすことは難しいだろう。

◇第3種
 これもまた末端の一部で中学新人大会にクラブチームを参加させている以外は第2種同様の空白である。ただ、第2種と違って一応準備委員会らしいものがあって準備段階にはいっているようだが、ここでも協会のものであった大宮の全国中学校大会を中体連に素早く取られた形でお手上げになっている。これを早く第3種大会に切り換えておればなんのこともなかったはずであるのに。55年度にはそれが完全に中体連のものになろうとしている。
 しかも学校側がその大会以外の全国大会に学校チームが参加したら中体連競技会への1年間出場停止を命じるという、きわめて閉鎖的な態度をとっている。協会はいっそく動きにくくなった。もちろん協会は今後も中体連と話し合いを続けるだろうが、もし折り合いがつかなければ、たとえ学校チームが参加しないクラブチーム少数参加の大会となっても、第3種大会をぜひ設けねばならない。そうしてその大会に第3種最高の競技会の権利を持たせればいいのである。

◇第4種
 全日本少年大会とその予選のほかに都道府県段階でいろいろと行なわれているからあまり不足ではなかろう。手直しするとすれば、都道府県段階でリーグ形式を採用して平均して多くの試合を経験できるようにするとともに、全国大会は健康と参加経費の面から参加チームを減らし会期を少し縮めるのがよいと思う。


協会は固い決意で実現に当たれ

 協会は財政豊かでなく人手も乏しく、しかもグラウンドが少ないなどの状況も考慮したうえで、協会はどうしてもこの程度の競技会を単独主催しなければならないと思われる最低限が異常である。規約を通じて宣言したのもほぼこれで満足されよう。
 これまで協会はもっと多くの競技会を主催してきた。だが従来の競技会の中には、新制度の種別には関係のないグループの競技会が多いから、その種のものはそのグループ(いわゆる各種連盟にあたる)事態に開催運営をまかせればよいのである。昔から協会は日本サッカーを統括するからにはどんな競技会にも主催者になろうとする考えがあって、かえって実のともなわない名ばかりの主催が多かったが、コントロールにも他に方法を考えればよい(それはあとで各種連盟に触れるときに述べる)。そうしてとにかく上述した競技会を協会は責任を持ってぜひとも開催しなければならない。旧制度からの抵抗はあるだろうが、協会にはやり抜く決意を期待したい。この新しい制度による国内体制をまず整備しない限り日本のサッカーは決してワールドクラスへ前進できないだろう。オリンピックやワールドカップの予選に勝つことは、その次のことである。そうしないと何年たっても同じだろう。

 しかし、決意するとしても、すぐにはすべての競技会は整わないだろうから、そこで協会として当面次の2つのことをしないといけない。一つは未整備の第1種の下部競技会と第2種、第3種について、事情を説明することだ。もう一つは競技会が実現しないために出ている被害の救済措置を講じることだ。
 第1種についていえば、協会の競技会だったものを社会人連盟のものにしたがために、第1種加盟に際しては協会加盟費のほかに社会人連盟費まで支払って2つの団体に登録しないと試合できないという不都合が起こっている。この場合は社会人連盟にわたった競技会を協会の競技会に戻して第1種競技会とすればすべて解決する。事情の説明も救済もそれですむ。それしか方法もない。
 第2種と、第3種に関しては、新競技会への作業はどこまで進んだか。いまはなにが障害で行き詰っているか、打開の見通しはあるか、最終的な協会の決意はあるか、などを明らかにしてまず事態を釈明することだ。次に少数だが試合ができると思って第2種に登録したクラブチームへの救済措置である。
 52年の登録を受け付ける前に、第2種加盟でも競技会ができるまでは第1種競技会に参加させるようにと日本協会は都道府県協会に指示したにも関わらず、それはいまも実行されていない。また、クラブチーム同士で全国クラブ・ユース大会を開催して仲間同士の試合チャンスをつくったが、協会は名ばかりの後援でいたって冷たい。このような競技会を開かねばならないのも第2種競技会を設けない協会の責任なのだから、この大会は当然に協会が主催して面倒をみるものではなかろうか、と長沼専務理事にいったら、そのように取り計らうとのことだった。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1980年2月10日号)

↑ このページの先頭に戻る