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デニス・ベルカンプ(1)60年代のデニス・ローの名にあやかりビューティフルゴールを量産した“静かな男”


 サッカー・アナウンサーの大御所、金子勝彦さん(テレビ東京で、かつて三菱ダイヤモンドサッカーを担当)と、この連載についての話から、オランダのデニス・ベルカンプの名が出たとき、打てば響くように「素晴らしい技術を持っていましたね」とおっしゃった。
 金子さんの頭には、おそらく、98年ワールドカップ準々決勝、オランダ対アルゼンチンでベルカンプが、ロングボールを追い、その落下点(ペナルティエリア内)で、見事に処理をして、マークのロベルト・アジャラをかわしてシュートした場面が浮かんだに違いない。
 実は、私自身が、釜本邦茂シリーズの次にベルカンプを持ってきたいと考えたのは、3月28日の日本対バーレーン戦(1−0)で、内田篤人がすごいチャンスを作ったプレーに触発されたから。相手のペナルティエリアまで進出した内田はロングボールの処理に失敗してビッグチャンスを生かせなかったが、この場面をビデオで見直しているとき、同じような位置でのベルカンプのプレーを思い出したのだった。

 当時、29歳。アヤックスで得点王となり、EURO92、ワールドカップ94などの大舞台を経験し、イングランドのアーセナルに移って3年を重ねた。いわば百戦錬磨のストライカー。足の速さとトラッピングのうまさ、シュート場面での落ち着き、シュートそのもののうまさなどは高い評価を受けていた。このアルゼンチン戦のビューティフルゴールは彼の“記憶すべき名ゴール”の一つであるとともにワールドカップの通算6ゴール目でもあった。94、98年大会の12試合で6得点した彼は、オランダ代表の大会通算ゴールでは、ヨニー・レップ(74、78年大会14試合7得点)に次ぎ、先輩ロブ・レンセンブリンク(74、78年大会13試合6得点)と並んで2位となっている。

 私自身、スウェーデンのEURO92で彼を初めて見て以来、米国94、フランス98とワールドカップの2大会で、そのビューティフルゴールのいくつかを生で眺めることができたが、見事なトラッピングでボールを処理しつつ、相手のDFの接触プレーにもビクともしない強さを見せる彼が、日頃は控えめで、物静かであるという評判にもとても興味を持っていた。
 自己主張の強いオランダの選手の中から優れたプレーヤーが多く生まれると同時に、ときとして彼らの意見の不一致によって、チームがまとまらず、オレンジサポーターの望みどおりの成績にならぬこともあるという。だが、そうした中で、日本的とも言うべき「静かな男」が、ストライカーとして多くの実績を残したところが面白いと思う。

 90−91シーズンに彼はアヤックスでオランダリーグの得点王となり、オランダ代表の対イタリア戦(2−3)に出場して、オランダの2ゴールを決めた。22歳の若いストライカーは有名になり、レアル・マドリードからの要望があったのに、本人は「まだアヤックスで学びたいこともある」と断る。若い自分はまだスペインで成功する自信はない――という慎重な態度に、メディアはファンバステンは22歳でミランへ行ったのにと驚いたものだ。

 オランダ人の自己主張といえば、私は74年代表キャプテンのヨハン・クライフに話を聞いたとき、彼はリヌス・ミケルス監督に代わって、その日の出場メンバーたちを納得させた苦労を語った。一人ひとりがスターであり、ひとかどの理論派だから大変だったらしい。それが78年ワールドカップに彼が参加しなかった原因の一つだと言っていた。
 また、来日したクラレンス・セードルフの記者会見で彼をフランク・ライカールトと比較した質問が出たとき、セードルフが「私はセードルフであって、ライカールトではない」と滔々と一席ぶったことを覚えている。
 そうしたオランダ人の中での非オランダ的要素を持つ、ベルカンプ。日本的心情にも似たところのあるこのストライカーのキャリアを見てゆくことは、私たちのゴールスコアラーのイメージづくりの参考になるかもしれない。

 その歩みに入る前に、アムステルダム生まれのデニス・ベルカンプ(DENNIS BERGKAMP)のデニスは、彼の父親が熱烈なマンチェスター・ユナイテッドのファンであり、ユナイテッドのスター、デニス・ロー(DENIS LAW)のデニスからとったことを紹介したい。スペルが違うのは、英語式ならオランダでは女性になるというのが理由。60年代の大ストライカーの名にあやかったベルカンプが、どのように成長し、どのようなビューティフルゴールを残していったかを次回から追うことにしたい。


(週刊サッカーマガジン 2009年6月2日号)

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