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デニス・ベルカンプ(6)米国W杯で3得点。不振のセリエAから働き場をプレミアシップへ


 FIFAコンフェデレーションズカップ決勝は米国の大健闘で、緊迫感のある試合となり、ブラジルが0−2から追い上げて3−2で逆転勝ちした。
 その1点目がルイス・ファビアーノの反転シュート。右後方からの速いパスを、ゴールを背にして、ペナルティエリアいっぱいで受け、右足で止め、左足で蹴ったもの。
 もちろん、マークするDFはいた。ジェイ・デメリットだったが、体を密着するのではなく、少し間合いがあった。テレビのスローで見ると、L・ファビアーノは手を後方へ出して、相手が接近していないのかを確かめつつ、右足で自分の右方向へ止め、小さく上がったボールが地面に落ちたショートバウンドを左足で叩いている。そのシュートのときにデメリットは接近して右足を伸ばしたが、L・ファビアーノのインパクトの方が早くて、ボールはDFの足の間を抜けてゴール右ポストへ転がり、GKティム・ハワードの懸命のセービングも届かなかった。DFの体でハワードには蹴った瞬間のボールは見えなかったのだろう。
 攻撃の仕掛けは、ブラジルが左タッチ際から右へ大きく振って、右サイドのマイコンがハーフウェーラインを越えてパスを受けたところから始まり、彼はドリブルで進み、内側を縦に走ったジウベルト・シウバへパス。G・シウバは、これを後方に戻し、マイコンがエリアぎりぎり、ほぼ中央のL・ファビアーノにパスしたのだった。

 米国の守りは、このとき、ペナルティエリア内に4人、中央部のすぐ前に2人がいた。ブラジルはカカーが右外に、ロビーニョが左外に開いていて、G・シウバがカカーの内側、エリア右角外にいた。L・ファビアーノとデメリットの1対1の争いは、意表を突くタイミングで蹴ったL・ファビアーノに軍配が上がった形だが、ゴール正面の最も危険地帯で1対1の局面を作ったブラジル側の攻めは、理にかなったもの。仲間たちがお膳立てした場面でよいプレーを演じるストライカーがブラジルにはいたということなのだろう。


 さて、デニス・ベルカンプの話に戻ると――。
 時は94年W杯、ブラジルが4度目の優勝を遂げたこの米国大会で、そのブラジルとベルカンプのオランダが準々決勝で顔を合わせ、テキサス州ダラスで激闘を演じるところだった。
 25歳のベルカンプは、EURO92で国際大舞台にデビューして3得点し、マルコ・ファンバステンの後継者としての評価を高めていた。
 オランダは、前半0−0のあと、後半に0−2とリードされる。1点目はともかく、2点目はいささか承服しかねるものだった。相手のマウロ・シウバのヘディング・ボールがオランダ・ディンフェンスラインの裏へ飛んだときに、ロマーリオがオフサイドポジションにいた。オランダDFがオフサイドだとプレーを止めたとき、後方から走り上がったベベットがこのボールを取って、ノーマークとなり、ゴールを決めた。ロマーリオには「積極的にプレーしようとしなかったため、オフサイドにはあたらない」とする新しいルールが適用されたためだった。

 喜ぶカナリア・サポーターと、不満のオレンジ応援団――。そのすぐあとにオレンジ側を喜ばせたのがベルカンプだった。左スローインを追って、ペナルティエリア内に走り込んだ彼は、相手DFに当たったボールを取って左ポスト近くからシュートを決めた。
 ロングスローを、走って前にあったボールを蹴ったというシンプルなものだが、ここに彼の速さと、ズカズカと相手の危険地域に入りこむ強さと、どのようなボールでもシュートへ持っていくうまさを見せた例だった。

 メンバー交代でFWに適任者が入って、彼の後方からのドリブルや飛び出しが効いてオランダ側が優勢となり、左CKからアロン・ビンターが見事なヘッドを叩き込んで2−2となった。大会で最も面白い逆転劇か、とも思えたが、ブラジルはブランコの強烈なFKが決まって3−2としてしまった。7月4日の対米国で左SBのレオナルドが退場処分となり、その代役として出場したブランコは、90年大会の代表でもあり、強いシュートの持ち主だったが、オランダの俊足FWマルク・オフェルマルスを防げるかどうかが問題だった。ブラジルはMF陣の助けでこの局面での守りに成功し、チャンスにベテランの武器が生きることになった。

 この大会の前年、1993年にベルカンプはイタリアのビッグクラブ、インテルに移ったが、十分な働きはできなかった。デニス・ローがイタリアになじまなかったのと同じように、ベルカンプも水が合わなかったらしい。1年目のセリエAで8ゴール(31試合)2年目はケガもあって3ゴール(21試合)だった。「ピッチの上でもピッチの外でも楽しいとはいえなかった」イタリアから95年に、プレミアシップのアーセナルに移った。そのシーズンの9月23日、対サウサンプトンで2ゴールを決めて、彼はサッカーの母国の名門チームの中心選手となる。


(週刊サッカーマガジン 2009年7月21日号)

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