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デニス・ベルカンプ(7)EURO96、ヒディンク監督とオランダ代表のまとめ役となり、ベンゲル監督とアーセナルの進化を担う


 コンフェデ杯が終わって、いよいよFIFAワールドカップ2010、南アフリカ大会もあと1年以内となった。
 得点力不足から、代表のストライカーについての話題が巷でもテレビや新聞などでも取り上げられるようになった。
 ゴールを奪うということに関心が高まるのは大変結構――というより、当たり前のことだが、こういう話のときに出てくるのが「日本人論」に始まる、「ストライカーは日本人に不向き」という説。何でも国民性や民族論に結び付けたい人もいらっしゃるようだが、人間はどこに生まれても、どの民族の出であっても、さまざまな性格や資質があることは、日常よく見る話。私のように人様より多少長い年月サッカーを眺めてきた者、は国民性論も面白いけれど、それだけでひとくくりにすることの不思議さも感じてきたものだ。


 いま連載のデニス・ベルカンプでいえば――。オランダ人は一般的に自己主張が強いといわれるが、この187cmの大柄で足の速いストライカーは、自分よりもチームを第一に考えてきた選手。20歳でアヤックスのトップスコアラーの実績を持ちながら、すぐに外国のビッグクラブの誘いに乗らず、イタリアのセリエAインテルに移ったのは1993年、24歳だった。
 いまの日本人選手の外国へ移る決断の早さから見れば、ベルカンプは驚くほど慎重派だった。
 そのイタリアでは、結局、十分に働けず2年で今度はイングランドのアーセナルに移る。日本人から見れば、海に開けた国、オランダの人たちは英国人と同じように海外どこでも適合力があるように映るが、ベルカンプはそうではなかった。

 そういえば、マンチェスター・ユナイテッドの名FW、デニス・ロー(スコットランド代表)も、イタリアのユベントスに移った後に「イタリアの水に合わない」と戻っているし、彼と同時代にチェルシーとトットナムで活躍したジミー・グリーブス(イングランド代表)も、ACミランで半年も持たないで、戻ってしまった。
 といって、2人のプレースタイルは同じではない。ローは華やかで、空中戦に強く、グリーブスは自らヘディングは不得意と言いながら「直感力」で高得点を稼いだ。
 この連載に登場する世界のストライカーたちも体格はさまざま、体形もいろいろ、スタイルもまた多種にわたっている。共通していることは、シュート技術とボールを扱う(ドリブルを含めて)ことが上手であったということである。

 さて、そのデニス・ベルカンプ。前号までで94年ワールドカップの次の年、アーセナルに移り、最初のシーズンにリーグ11得点(33試合)を挙げ、カップ戦でも4ゴールしてサポーターからも喜ばれるところまで紹介した。
 親父さんがイングランド・サッカーのファンで、息子にデニス・ローの名を冠してデニスとつけたことはあまりにも有名で、この連載でも触れているが、幼いころに父に連れられてロンドンにまで試合を見に来たこともあるベルカンプにとって、ロンドンとアーセナルになじむのは早かった。もちろん、プレミアシップの激しさは、セリエAとも違っていて、最初のゴールまで開幕から4週間かかったが、10番をつけた彼の活躍によってアーセナルは、この年5位に上がり、UEFAカップの出場権を得た。

 初年度の彼の15ゴールは、エリア外から右足の中距離シュートあり、エリア内に走り込んでのリバウンドを叩いたもの、クロスに合わせたヘディング、ディフェンスラインの裏へ走り込んで相手GKとの1対1となってから、ステップで幻惑して股下を抜いたもの――もあった。1年で彼はゴールを奪うシュート技術の多様さと正確さをファンに見せた。
 この年11月4日にホームでマンチェスター・ユナイテッド(1−0)から奪ったゴールは、右サイドで縦にボールを追い、相手DFに競り勝って右足で決めたもの。94年W杯でのブラジル戦で見せたのと同型で、シンプルな突進の速さと、体の接触の強さと、シュートの正確さを表したものだった。

 96年からアーセナルはアーセン・ベンゲルを監督に迎える。
 彼とベルカンプとチームは進化を続け、96−97シーズンはリーグ3位となり、その次の97−98シーズンはプレミアシップとFAカップの2冠に輝き、ベルカンプは最優秀選手に選ばれる。
 その前にイングランドでのEURO96に、彼はオランダ代表で出場する。チームは第2ラウンド1回戦、対フランスでPK戦で敗退した。
 若い個性派の多いチームが、オランダ代表としては「めずらしく」まとまりが良かったのは、フース・ヒディンク監督と中軸のベルカンプの性格によるといわれた。


(週刊サッカーマガジン 2009年7月28日号)

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