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デニス・ベルカンプ(8)96−97シーズン。充実期を迎えて“美しいゴール”でアーセナル浮上に貢献
先号(7月28日号)の表紙を飾ったのは石川直宏だった。巻頭のインタビューも彼だったし、ジェレミー・ウォーカーさんのコラム『J・WARKING』も「N−18」(NAOHIRO ISHIKAWA 18番)の魅力を述べていた。
横浜マリノスで2年、FC東京で7年、合計J1で9シーズンのキャリアを持つ彼は、右サイドの俊足ドリブラーとして知られていたが、ゴール数は24得点(171試合)得点の多い年でも5点どまりだった。だが、10シーズン目の今年は、17試合で10ゴール(出場15試合)を記録している。
サイドを突破してクロスを送るといったこれまでの役柄から脱皮したというのか、ゴールに目覚めたというのか、このところテレビの画面で見る彼が、自信を持ってシュートに入っていくのを見られるのは、まことに楽しい。意欲は実績となり、実績は自信となって、さらに実績を重ねることになるのだが、その陰にもちろん石川自身の工夫や努力や練習があったのだろうし、変身した彼を生かそうとする仲間の努力があるのも、また当然だろう。
1981年5月12日生まれの28歳、新しい境地を切り開いた充実期の彼とともに平山相太をはじめとするFC東京の選手たちのレベルアップを期待したいところだ。
さて、デニス・ベルカンプ、こちらも彼の充実期――。
95−96シーズンからアーセナルに移って、プレミアシップに乗り込んだ彼は最初のシーズンにリーグで11ゴール、カップ戦で5ゴール合計16得点を奪った。チームの順位は前年の12位から5位へと浮上し、彼の獲得にクラブ史上最高の750万ポンドを費やしたクラブ首脳も満足した。
このころ、イングランドのサッカー界は1989年の「ヒルズボロの悲劇」のあと、テーラー判事によってつくられた報告書に基づく改革が進み、老朽化していたクラブのスタジアムは改修が進んで、「この国で最も人気のあるスポーツ観戦にふさわしい」ものになろうとしていた。そして、BスカイBというペイテレビの参入によって、クラブの財政が豊かになり、海外からの高額選手の移入も積極的になり、プレミアシップは現在の黄金期へ向かっていた。
次のシーズン、アーセナルはフランス人監督、アーセン・ベンゲルを迎える。
新監督の下で、チームはマンチェスター・ユナイテッド、ニューカッスル・ユナイテッドと優勝を争い、3位となる。
ベルカンプは8月17日のウェストハム・ユナイテッド戦のPKを皮切りにリーグで12ゴールを決めた(29試合出場)。
ボールタッチが柔らかく、利き足の右のシュートはインステップで叩きつけるのも、アウトサイドも巧みだった。インサイドキックで右方向へも、左方向へも、時に応じてシュートを決めた。左足でも蹴った。ゴールに向かって飛んでゆく右足の中距離シュートの弾道の美しさは格別だった。
ペナルティエリアの外、数mから、エリアのラインにかかるあたり、つまりゴール前20mから15〜16mが、彼の好むシュートレンジ(シュートの距離)でいわば主戦場だった。
そこへ突進して、DFをかわしてのシュートもあったが、DFを前に置いてわずかにボールの位置をずらせてのシュートもあった。その、ほとんどノーステップに近い状態での右足の振りで、エリア左角やや内に入ったあたりから、右ポストぎりぎりへのシュートは驚くほど正確で、球に威力があった。
96年11月24日のトットナム戦(ホーム)で、彼は右サイドのイアン・ライトからのクロスをペナルティエリア内(ゴールエリア左外約4m)で落下点に入って、左足トラップして相手DFを内にかわして、右足シュートでGKの右を抜いてファーポスト側へ決めた。
ロンドンダービーでの、このビューティフルゴールはハイバリーを埋めたサポーターの大喝采を浴びたのだが、のちに彼がワールドカップで演じた「落下点で相手DFをかわしてのボールコントロールとシュート」の「型」をこのトットナム戦に見ることができる。このときめずらしく、彼はガッツポーズを取って大きく叫んだと記録されている。会心のゴールの一つだったのだろう。
マンチェスター・ユナイテッドに勝点7及ばず、ニューカッスルとは同勝点(68)同勝敗ながら得点数で劣って3位に止まったアーセナルは、次の年、オランダのマルク・オフェルマルスやフランスのエマニュエル・プティを加え、97−98シーズンのタイトルに向かった。
私たちは、このシーズン、ベルカンプがリーグで16ゴール、FAカップで3得点して、チームの2冠に貢献するのを見ることになる。
(週刊サッカーマガジン 2009年8月4日号)