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デニス・ベルカンプ(10)ティエリ・アンリたちスター軍団から「チームへの貢献」を尊敬され、引退試合でも結果を出した


 アーセナルの3年目で、プレミアシップ優勝と、FAカップ獲得の2冠に貢献し、自らもフットボーラー・オブ・ザ・イヤーの2冠(前号で紹介)の栄誉に輝いたデニス・ベルカンプは、最も古い歴史を持つ、最もリッチなリーグでナンバーワンの評価を受けた。1998年5月18日の彼は、このとき29歳、プレーヤーとしても充実期から絶頂期に移ろうとしていた。ベンゲル監督とアーセナルと彼は、この後もリーグで2回優勝(2001−02、03−04)FAカップも3回獲得(2002、03、05)した。

 98年6月、フランスで開催されたワールドカップ(W杯)で、ベルカンプとオランダ代表は1次リーグでベルギーと分け(0−0)韓国に勝ち(5−0)メキシコと引き分けて(2−2)第2ラウンドへ。ノックアウトシステムの第1戦でユーゴスラビアを倒し(2−1)準々決勝でアルゼンチンを破り(2−1)準決勝でブラジルにPK戦で敗れた。
 ベルカンプの得点は3、対韓国の3点目と、対ユーゴ先制点、対アルゼンチンはタイムアップ直前の決勝ゴールだった。後方からのロングボールをペナルティエリア内の落下点でとらえ、見事なトラッピングでマーク相手のロベルト・アジャラをかわして右足シュートを決めたもの。疾走のあとで、空中のボールを止めるときのファーストタッチの柔らかさと、体のバランスの良さに感嘆したものだが、彼のアーセナル時代を見れば、このビューティフルゴールも、すでに彼がプレミアシップで描いた「棋譜」の一つだと知れる。
 この大会の3得点を94年大会に加えて、ベルカンプのW杯でのゴール数は6、ヨニー・レップ(7)に次ぎ、ロブ・レンセンブリンクと並んでオランダ代表の2番目となる。

 ニコラ・アネルカ(フランス)やイアン・ライトたちが去り、ティエリ・アンリ(フランス)が加わったのが99年から、空前の繁栄期を迎えたプレミアシップの名門クラブは外国からの有名選手であふれる。パトリック・ビエラ、エマニュエル・プティたちフランス勢やヌワンコ・カヌ(ナイジェリア)98年W杯得点王ダボール・シュケル(クロアチア)もいた。そうした多国籍スター群の中で、ベルカンプは人柄と技術で仲間たちから尊敬された。
 はじめの3シーズンでの52得点(リーグ39、カップ戦で13)ほどのハイペースでなくても、ここというときにゴールを奪ったし、第2の天性ともいうべき、パスのうまさに磨きがかかった。それがアンリの得点能力を引き出した。チーム力がアップした2001−02シーズンの優勝(26勝9分け3敗、得点79、失点36)03−04シーズンの無敗優勝(26勝12分け)のそれぞれにアンリの24ゴール、30ゴール(いずれも得点王)の活躍があったが、ベルカンプもまた前者には先発出場22試合と交代出場11試合で合計9得点、後者は21試合の先発、7試合の交代出場で合計4得点している。
 その彼をアンリは「ベルカンプにとって、最も大切なのはチームであり、アーセナルが勝つことだ。彼の、一本のパスで相手の死角を突くうまさには驚くほかない。私が一緒にプレーしたストライカーのパートナーとして最高のプレーヤーだった」と言っている。

 そのベルカンプもユニフォームを脱ぐときが迫っていた。
 34歳で3度目のリーグ優勝、次の年にはFAカップの優勝もあった。この年で契約は終わるはずだったが、クラブは1年延長した。翌年、彼は引退を決意した。
 アーセナルでの出場試合は423(リーグ315)得点120(リーグ87)多くの名手を生んできたクラブの歴史で10番目に多い得点数だった。
 その120ゴールは、どれほどサポーターを喜ばせたか――。いや、サポーターだけでなく、テレビの前のファンも驚き、拍手し、感嘆したビューティフルゴールがどれほどあったか――。

 2006年5月7日、05−06シーズン、アーセナルの最終戦、対ウィーガンは、ベルカンプにとってハイバリーでの1995年以来の最後の試合でもあった。そしてまた、来季のチャンピオンズリーグ出場(4位以内)もかかっていた。
 残り12分にベルカンプが交代出場した。37歳の選手の引退試合としては厳しい公式戦だったが、チームは4−2で勝った。チームを第一に考えて戦ったベルカンプに仲間が力を結集して引き際を飾ったのだった。
 この年11月15日、イングランドの「ナショナル・ホール・オブ・フェイム(イングランド・サッカー名誉の殿堂)」は11人の殿堂入りを発表。その中にデニス・ベルカンプの名があった。


(週刊サッカーマガジン 2009年8月18日号)

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