賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >神戸FC 40周年記念おめでとう 〜40年前の先見性を噛みしめつつ、100周年の夢を考えましょう〜

神戸FC 40周年記念おめでとう 〜40年前の先見性を噛みしめつつ、100周年の夢を考えましょう〜


 40周年おめでとう。クラブを支え運営の努力を続けてこられた会員の皆さん、お一人お一人に心からお喜び申し上げます。
 また、クラブをバックアップして下さった兵庫県、神戸市をはじめ多くの企業さらにはクラブを励まし助けて頂いた全国のサッカー仲間に、天上界にある先輩たちとともに心から感謝を捧げます。

 日本ではきわめて珍しい法人格市民スポーツクラブ「社団法人 神戸フットボールクラブ」が誕生したのは1970年12月22日、その法人化の7年前、クラブの前身「兵庫サッカー友の会」の設立(1963年12月)の頃から関わってきた私にも、神戸FCの不惑(ふわく=40歳)はまことに感慨深いことです。
 この友の会の創部や法人化のいきさつについては1990年の20周年記念に発行された「神戸フットボールクラブ20周年史」に記述され、25周年記念史にも書き込まれています。また、私のウェブサイト「Kagawa Soccer Library」でも“神戸フットボールクラブ”で検索すれば読んで頂けるようになっていますので、創設期やその後の歩みについてはそちらに譲ることにします。

 ただし、加藤正信ドクター(1912-1990年)を中心に、ドクターの旧制中学校時代のライバルであった御影師範(神戸大学発達科学部)のOBたちが集まって、「兵庫のサッカーをもう一度、強くしよう」との願いから始まった夢が「友の会」となり、誰でもボールを蹴れる集まりから、少年サッカースクールの経営へとふくらんで、法人化に移っていったときにドクターたち当時の50歳の世代を後押しした玉井操(1903-1978年)田辺五兵衛(1908-1972年)といったJFA副会長を務めた長老たちを思うとき、神戸と兵庫あるいは関西の歴史の古さと、その先達たちの知識の深さと先見性を改めて感じることになります。
 自分たちがスポーツをするためにクラブをつくり、自分たちでお金を出し合って運営する。自分の子供たちのスポーツを会員が支える――といった仕組みは、世界では常識であっても日本ではまだ非常識でした。そうした中で社団法人神戸フットボールクラブを起ち上げ、あるときは少年サッカー大会の中心地域となり、あるときはOB大会をつくり、といった活動までも行ない、95年の大震災という苦い経験も経て、今日までしっかりとした歩みを続けてきました。

 この12月4日にFIFAワールドカップ(W杯)2010南アフリカ大会の組合せ抽選会が開かれ、日本の対戦相手が決まりました。振り返ってみれば、クラブ創設の70年にはメキシコでW杯が開催され、ペレとブラジル代表が3度目の優勝を果たしました。以来、9回のW杯――2002年の日韓共催大会を含んで――が開催されました。そのW杯という世界のお祭りも大きな変容を遂げるとともに、日本のサッカーもまた素晴らしく進化しました。
 JFA(日本サッカー協会)の法人格と登録制度の改変、プロ化、Jリーグの誕生、W杯開催、各府県協会の法人化も進み、選手育成をはじめとする各施策が進められ、各地に良好な施設が増えて、かつては夢であった芝生のピッチがそこここにつくられるようになりました。トップ・プロをはじめアマチュアも少年も女子も、技術・体力のレベルが上がって、今や日本はアジアのトップのサッカー国のように見えます。

 ただし、ここまで盛んになった日本のサッカーの中で、「市民の手によるクラブ」の数は必ずしも大幅には増えていません。兵庫県のような先進地域でも中学生年齢(U-15)はともかく、それ以外ではそれほどではないのが実情です。JFAやJリーグでは地域密着型クラブの育成といった方策を掲げ活動もしていて、一般の理解は進んでいるようですが、実際はどうでしょう。それだけに難しいことなのかもしれません。

 40年を迎えた神戸FCは、これまで多くの実績を持っているハズです。「好きなスポーツを自分たちの手で――」という今の流行語でいえば“地域主権”や“地方自治”などの基調となるスポーツクラブの理念をもう一度、会員の皆さんに噛みしめて頂きたい。40年前に、兵庫にないものを欲しがった先輩たちはそれを実現しました。今のクラブにないものを欲しいと思うのは当然でしょう。いいピッチであれ、クラブハウスであれ、次の世代につなぐ目標を追って頂きたいと思います。日本では大都市のクラブは小都市に比べて難問のあることは確かでしょうが、このクラブの100周年記念に、どういうお祝いができるかを夢見ることはとても楽しいことだと思います。


(神戸SS45周年、神戸FC40周年 記念誌 2010年1月発行)

↑ このページの先頭に戻る