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64年東京オリンピック 日本人にサッカーの魅力を伝えた

 64年の東京オリンピックは、私たち日本人がアルゼンチンから1勝を挙げた喜びのときだが、チェコにもまたオリンピックのメダルを手にした記念の大会となった。

 1922年頃からプロを導入したチェコでは、ちょっとレベルが上昇したアムステルダム・オリンピック(28年)は、ブロークンタイム・ペイメントの論義が厳しくなっていて、参加を見送っている。

 第二次大戦後のヨーロッパの代表チームの政策は、ワールドカップにはトップ・チームを、オリンピックにはW杯の未経験者(W杯出場者はオリンピックに出場できなかった)―――オリンピックは、どちらかといえば若手を送り込んでいた。したがって、東京オリンピックのチェコスロバキア代表の軸となるMFはマソプストではなく若いゲタレだった。

 日本代表はベスト8に残ったが、準々決勝でこのチェコスロバキアに0−4で敗れた。試合後、デットマール・クラマー氏が、私に「得点は0−4だが、今日の試合は攻守の切替えが見事で、チェコを相手に互角に攻め合った日本選手をほめて欲しい」といっていた。

 チェコスロバキアとハンガリーの決勝は、当時の日本人にサッカーの面白さを味わわせ、野球や相撲やバレー以外にもこんなに魅力的なスポーツがあり、日本の試合でなくても興奮できるものだということも知らしめたのだった。ちょっとスローだが、正確にパスをつないでゴールを包囲するチェコと、大草原を疾駆するマジャールさながらのハンガリーの、ベネやファゼカシュの速さが対称的で美しかった。


(サッカーダイジェスト 1991年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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