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ラウル・ゴンサレス(2)98年トヨタカップ、疾走して落下点でボールをとらえDFをかわして決勝ゴール


 94年10月に17歳4ヶ月という異例の若さでレアル・マドリードの1軍にデビューしたラウル・ゴンサレスは、1年目に9得点(28試合)2年目は19得点(40試合)3年目は21得点(42試合)とゴールを重ねた。
 生え抜きの新しいスターを得たチームは、1990年以来宿敵バルサ(FCバルセロナ)に明け渡していたリーグのタイトルを95年、5シーズンぶりに奪回した。翌年は7位まで落ちたが、97年には再び優勝した。
 そして97−98シーズンのチャンピオンズリーグで勝ち上がり、5月20日、強敵ユベントスを倒して32年ぶりにヨーロッパの王座に返り咲いたのだった。

 アムステルダムでも試合前の予想はユベントスが優勢だった。96年の優勝から97年のランナーズアップに続いて3年連続しての決勝進出だった。
 ジネディーヌ・ジダン(フランス)をプレーメーカーに、フィリッポ・インザーギとアレッサンドロ・デルピエロが2トップを組み、イタリア勢特有の堅い4バックの守りの上に、ディディエ・デシャン(フランス)やエドガー・ダビッツ(オランダ)などの強力MF陣がいた。
 レアル・マドリードはGKにドイツのボド・イルクナー、守りはイタリアのクリスチャン・パヌッチと大ベテランのマヌエル・サンチース、攻守の核となるフェルナンド・イエロ、左サイドにはロベルト・カルロス(ブラジル)MFにクラレンス・セードルフ(オランダ)フェルナンド・レドンド(アルゼンチン)とクリスチャン・カランブー(フランス)FWはプレドラグ・ミヤトビッチ(ユーゴスラビア)フェルナンド・モリエンテスとラウルだった。

 両チームのほとんどが各国代表選手という豪華な顔ぶれ、はじめはユベントスが攻め、やがてイエロを中心にレアルのパスが回り始めるといった経過で、それぞれにチャンスがあった。
 後半にユベントスはインザーギが2度好機を外したあと、66分にレアルにゴールが生まれた。セードルフの右からのクロスが左へ流れ、ロベルト・カルロスがシュートし、DFに当たったリバウンドをミヤトビッチが拾ってシュートを決めた。
 ラウルにとって、この97−98シーズンは太ももの故障もあって、1月3日から3ヶ月もリーグで得点なしの時期もあったほど――。対ユベントスの大舞台でもゴールはなかったが、そのキープ、そしてゴール前へ現れる動きは相手にも脅威となり、20歳の若者は、レアルのヨーロッパ王権復活の力となった。

 この1ヶ月後のワールドカップ・フランス大会は、残念ながらスペイン代表は1次リーグで敗退(前号参照)してしまった。しかし、98−99シーズンにはもう一つの「世界」が待っていた。
 12月1日、東京の国立競技場で行なわれる第19回トヨタカップ、欧州と南米のクラブナンバーワンの対決だった。
 相手はブラジルの名門バスコ・ダ・ガマ。大航海時代の英雄の名を冠したクラブは1885年創立で、コパ・リベルタドーレス優勝の上さらに「天下の」レアル・マドリードを倒して、クラブ100周年を祝いたいと、時差調整、気候順応を兼ねて15日も前に来日するという周到さだった。

 レアルのメンバーは、先のチャンピオンズリーグとほぼ同じで、CBにフェルナンド・サンスが加わり、FWには98年W杯得点王のダボール・シュケル(クロアチア)の名もあった。
 経験豊富なオランダ人、フース・ヒディンク監督は、イエロをリベロに置く、手堅く流動的な3バックと、右のパヌッチ、左のロベルト・カルロスを前進させるMF。2トップはミヤトビッチとブラジル人のサビオ、1.5列目にラウルという陣形でスタートした。そんな厚みのある攻めは、27分のロベルト・カルロスの強いクロスがオウンゴールを呼ぶことに表れて、1−0となった。

 バスコ・ダ・ガマは後半に動きの量を増し、ジュニーニョ・ペルナンブカーノが同点とし、時間とともにブラジル側の動きが上になったが、その攻撃を逆手に取ったのがレアルのラウル。セードルフの長いロブのパスを追って走ったラウルは、ゴールエリア左角近くの落下点で、左足で止め、巧みな切り返しとフェイクで2人のDFをかわし、右足でゴール右へ決めた。
 国立競技場のメインスタンドの記者席から見て、左手前のゴールへ疾走し、高く左足を上げて伸ばし、触れるか触れないかの微妙な所作で落下したボールをとらえ、柔らかな切り返しで一人を外し、さらにフェイクでもう一人を内にかわして、右足シュートでGKカルロス・ジェルマーノの届かないところへボールを送り込んだうまさは、今も鮮烈な「画」として記憶に残っている。


(週刊サッカーマガジン 2009年9月1日号)

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