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身体でカバーしてのキープ
東京オリンピック以後、私は67年に来日したデュクラ・プラハを見ている。マソプストを軸とするこのチームは、東京オリンピック代表よりも威圧感があり、ソ連の中央陸軍クラブと日本による三国対抗でも優勝した。短いパスのつなぎの中、あるいはマソプストのゴツゴツしたドリブルの途中から、一転して長く鋭いパスが前線のオープンスペースへ届くのがおもしろかった。
この印象は、80年の欧州選手権(イタリア)の第一戦で西ドイツと戦うチェコスロバキア代表と同じだった。かつての4・2・4の頃とは違うフォーメーションであっても、オープンスペースにボールが出て、そこで持ちこたえ、キープして、次の展開を図るところがチェコのスタイルといえた。
「チェコの選手は身体でボールをカバーするのがうまい」―――という話を東京オリンピックよりも以前にしたのは“ロクさん”こと高橋英辰氏(元日本代表監督)だった。私の兄の結婚式の披露宴で、仲人の竹腰重丸(元・日本サッカー協会会長)さんが30分に渡って、賀川太郎の紹介でサッカーとパス、パスワークの芸術―――といった内容のサッカー論義のあとで、高橋さんは「初めてプラハへ行って、ここの選手のプレーをみたとき“どこかでみたことがある”と考え“賀川太郎のキープのスタイル”を思い出した」という話をした。
チェコがイングランドなどと比べてスローに見えるのは、一気に突破せず、一度、持ちこたえ、味方の上がりを待って態勢を整えるからかも知れない―――。
80年の欧州選手権で、私はチェコスロバキアのプレーを見ながら、高橋ロクさんの話を思い出したものだった。
90年6月24日、南イタリアのバーリでの対コスタリカ戦、そして7月1日の対西ドイツ戦で、私はチェコスロバキアの見事なプレーを堪能し、この人口1500万人のスラブ人の中から生まれてくる豊かな資質に目を見張り、彼らのダニューブ・スタイルの楽しさを味わったものだった。
(サッカーダイジェスト 1991年4月号「蹴球その国・人・歩」)