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神戸サッカー物語 vol.1


世界を目指せ 新生ヴィッセル神戸

三木谷父子とサッカー

 ヴィッセル神戸が新体制となった。神戸市などでつくった株式会社ヴィッセル神戸から営業権が株式会社クリムゾンフットクラブに譲渡されたいきさつは、すでに新聞やテレビで報道された。ホームタウンは神戸、チーム名のヴィッセル神戸も従来と変わらない。
 インターネットビジネスで有名な「楽天市場」関連会社クリムゾングループが営業権を入札。この分野の仕事で“商店”などといわれると、私どもの古い頭では理解しがたい(インターネットのサッカー・ライブラリーを主宰しているのに……)のだが、社名のクリムゾンは英語で“紅”(あか)という意味のようだから、赤々と勢いのいい会社なのだろうと想像する。

 社長の三木谷浩史さんは明石高校から大学は一ツ橋の出身、学生時代はテニスをしていて、直接にはサッカーとは関わりがなかったとご本人はいうが、神戸大学のサッカー部長であった新庄博先生(故人)は、一ツ橋のテニス部OBだから、関係はないわけではない。その新庄ゼミの門下の一人が三木谷良一・神戸大学名誉教授……浩史社長の父君なのである。
 三木谷教授は旧制・神戸一中(現・神戸高校)48回(※編集注:正しくは旧制・神戸市立一中(現・葺合高校))神戸大学予科8回生で私と同門、神戸一中では私の卒業後の入学だが、1年生のときのサッカー部には岩谷俊夫、杉本茂雄、鴇田正憲(ときた・まさのり)岡田吉夫といった後に日本代表となる選手がいて、夏の全国大会、秋の明治神宮大会に優勝している。

 兵庫県のサッカーは、その前の年に私のチームが明治神宮で優勝、その前年(昭和15年)には神戸三中が全国中学校選手権準優勝、その前が明治神宮(神戸一中)その前が(昭和13年)中学選手権優勝(神戸一中)……と、今でいう高校選手権で常に全国のトップにあった。
 三木谷教授は、いわばその戦前・戦中の兵庫サッカーの最後の光彩を感じていた世代である。そのご子息がヴィッセル神戸を経営する立場になる……あらためて、神戸人とサッカーの不思議な縁(えにし)を思うことになる。


神戸・兵庫サッカーの先進性

 いささか古い話が出たが、三木谷教授の若いころよりも、さらに前から、神戸はサッカーの先進地だった。
 1868年の神戸開港とともに多くの外国人がこの地に居を構え、やがて、彼らの生活の一部としてのスポーツが市民にも広がり根付く。そんな流れのなかで、サッカーは師範学校や中学校のなかに熱心な愛好者を生み、大正7年(1918年)に始まった日本フートボール大会(現在の高校選手権の前身)で、兵庫県のチームは圧倒的な強さを誇っただけでなく、優れたプレーヤーも輩出した。
 東京オリンピック(1964年)を経て、一極集中が始まり、関西スポーツもまた地盤沈下し、兵庫県チームの“全国制覇”の記録は途絶えたが、神戸のサッカーの先進性は、1960年の全国初の少年サッカースクール開校、1969年の初のナイター照明付きの球技専用「御崎競技場」の建設、1970年の、日本初の法人格・市民スポーツクラブ「社団法人 神戸フットボールクラブ(FC)」の開設などで示された。

 少年サッカースクールは全国へ普及して、少年サッカーブームを呼んだ。誰もが入会できるクラブの誕生は、“世界の常識”である年齢別登録の会員制とともに注目された。やがて、学校や企業だけがスポーツの場ではないことを知る人たちが、各地でクラブ育成に向かうとき神戸FCはそのモデルであり、年齢別登録は、のちに日本サッカー協会が採用した。いま、U−23、U−20、U−18といった世界の大会に日本サッカーが対応できるのは、この登録制度の改革による。そしてまた、本格的ナイター照明を持つ専用球技場は、ワールドカップでの会場ともなった神戸ウイングスタジアムに生まれ変わった。


“世界一の環境”――ラウドルップ

 常に日本のなかで一歩先んじてきた神戸・兵庫のサッカーにとって唯一、そして最大の不満と誤算は、ヴィッセル神戸の低迷であった。その原因は立ち上がりが遅かったことや、大震災だけではない。しかし、その不振続きのなかで神戸市と企業がクラブを持ちこたえてくれたことには感謝以外の言葉はない。幸いなことに新しく意欲満々の経営者を迎えることができた。三浦泰年という若い統括部長、イルハンというスターの来日も決まった。
 全てが生まれ変わるはずのチームと、それをバックアップする神戸と兵庫のサッカー人にお願いしたい。この地域にしっかり根を下ろしたプロフェッショナルのチームをつくりあげるのが第一だが、目標は高く、世界に向けてほしい。世界に通じる第二、第三の中田英寿をここで育て、将来の世界クラブ選手権の舞台で輝かしい成績をあげることを目標にしてほしい。
 かつてこのヴィッセルでプレーした名選手ミカエル・ラウドルップが言った。「この神戸ほどサッカーをする環境の整っているところはない」と……。先人たちのつくった土壌に皆で新しい大きい花を開くことを願う。


(ヴィッセル神戸オフィシャルマガジン「ViKING」2004年3月号)

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