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神戸サッカー物語 vol.3


女子サッカーのオリンピック出場

 5月16日、ヴィッセル神戸対清水エスパルスの試合前に、アテネ・オリンピックに出場する日本女子代表チームの5選手がピッチに立って挨拶し、1万2,000の観衆から大きな拍手を浴びた。その5人、TASAKIペルーレFCの磯崎浩美、川上直子、柳田美幸、山本絵美、大谷未央たちが晴れやかに、にこやかに手を振るのを見ながら、4月24日の北朝鮮との素晴らしい試合を頭に浮かべ、あらためて女子サッカーの大発展に関わった人たちを思った。


40年前のカーニバルで 〜女の子 レフェリーもまた 女の子〜

 故・田辺五兵衛さん(1908〜1972年)が数多く残した“サッカー川柳”のなかで、こう詠んだのは昭和40年(1965年)。の第1回神戸サッカーカーニバル(王子競技場)でのこと。初めての女子の試合、神戸女学院対福住小学校が行なわれ、その審判も、村越葉子、小阪節子、岡真理子の3人の女性が務めたのだった。
 田辺五兵衛さんは、薬業界の老舗・田辺製薬の社長・会長を務め、サッカー界の大御所でもあったが、このスポーツを盛んにするためには女子への普及、浸透が必要との持論を早くから抱き、昭和10年代には茨木高女へサッカーを教えに出かけたこともあった。
 その田辺さんのアドバイスで、西宮の神戸女学院と神戸の福住小学校でサッカーが始まり、やがて社団法人神戸フットボールクラブ(1970年創立)にも女子部が生まれた。


神戸FCレディースからTASAKIペルーレFCへ

 川柳で詠まれた頃は“女の子”のサッカーだったが、全国的に普及し、1989年に第1回女子リーグが誕生する頃には、トップ級の選手の技も力も充実する。その全国リーグともなれば、チームの練習にも遠征にも時間と費用がかかり、ボランティアの集まりでは持ちこたえられないと神戸FCは田崎真珠とスポンサー契約。2年後にチームはそっくり田崎真珠に移った。
 海軍兵学校77期(1年生で終戦)の田崎俊作社長(75)の決断とバックアップのおかげで、チームは女子サッカー界の浮き沈みのなかで戦力を強化し、昨年は第24回日本女子選手権、第15回日本女子リーグ(Lリーグ)の2冠王。ナンバーワンチームとなり、日本代表にも多くを送り込むまでになったのだった。
 もちろん、このTASAKIペルーレFCの躍進には、自らJFAの女子委員長を務め、女子育成に積極的だった故・高砂喜之元兵庫県サッカー協会会長の力を忘れることはできない。
 彼女たちの活躍を先達たちはアテネの空から見つめるだろう。


(ヴィッセル神戸オフィシャルマガジン「ViKING」2004年7月号)

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