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ラウル・ゴンサレス(6)フィーゴが加わりリーグの首位奪回。ジダンの参加で2002年の「世界一」目指すレアル・マドリード


 ヨーロッパでの対オランダ、対ガーナの日本代表との2試合がとても面白かったので、番外編として2回続けて取り上げました。
 日本代表の得点力不足は、日本サッカー全体にゴールを奪い取ろうという意欲が少ないためだと思っている私にとって、ガーナ戦の逆転はとても愉快でした。
 その追い上げの最初の得点者だったのが中村憲剛――。対オランダでも、第2戦の前半でも、いくつかのチャンスをモノにできなかった彼が、その失敗にひるむことなく攻め上がりを繰り返して重要なゴールを決めたのです。
 得点力アップとその練習についても語り合いたいのですが、それは機会をみてのこと(私のウェブサイトにも掲載します)として、今回から再び『心に残るストライカー』の連載に戻ります。ラウル・ゴンサレスのシリーズ6回目、レアル・マドリードの「第1期銀河系」の頃を眺めましょう。


 2000年5月、ラウルは23歳の誕生日の少し前に、彼にとって2回目となる欧州チャンピオンズリーグ優勝を果たした。
 クラブにとっても8回目のヨーロッパ王座だったが、この年、第15代の会長に就任したフロレンティーノ・ペレスは、2002年のクラブ創立100周年に、レアル・マドリードを真の世界一クラブにするための大計画を実行し始めた。
 1943年から30余年にわたって第11代会長としてこのクラブを発展させたサンティアゴ・ベルナベウ(今スタジアムにその名を残している)の信奉者であるペレス会長は、アルフレッド・ディステファノやフランシスコ・ヘント、ホセ・サンタマリア、フェレンツ・プスカシュたちの1960年代に劣らぬチームをつくろう。強いだけ、勝つだけではなく、世界中の人々にとっても魅力あるチームをつくりたいと考えた。
 不動産業界の大物経営者でもある彼は、その魅力あるチームをつくるために多額の投資が必要であっても、魅力ある選手が集まれば新しい商品開発とテレビ収入のアップによって採算は取れるとした。
 長年のライバル、バルセロナからルイス・フェリペ・マディラ、カルロス・フィーゴを常識破りの金額で獲得したのも、こうした経営理念からだった。

 2000−01シーズンのレアル・マドリードは、その理想に向かって進んだ。リーグは24勝8分け6敗で優勝を果たし、ラウルは24ゴールで得点王になった。一方、宿敵バルサは4位だった。
 しかし、秋の第21回トヨタカップ(11月28日、東京)ではアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに1−2で敗れ、欧州チャンピオンズリーグも01年5月の準決勝でドイツのバイエルンに連覇を阻まれた。第1レグ(5月1日)のホームゲームは0−1、第2レグ(8日)のアウェーは1−2だった。
 トヨタカップは開幕直後の6分間の2失点が響いて、再三の攻撃もボカの厚い守りを破れず、12分に挙げたロベルト・カルロスの1ゴールにとどまった。対バイエルンでも、相手の堅い守りを打ち破るのに何かがほしかった。

 ペレス会長と、ゼネラルマネジャーのホルヘ・バルダーノは、ジネディーヌ・ジダンをユベントスから手に入れることにした。
 01年7月3日に最終決定し、7月9日にジダンが出席してマドリードで発表会見が行なわれた。
 98年のワールドカップで優勝したフランス代表の中心選手であり、第一級のプレーメイカーでありながらストライカーでもあるジダンによって攻撃が多彩になり、チームも輝きを増すと考えられた。
 しかし、一方ではこうした大物を何人も集めることを懸念する意見もあった。
 個性の強い彼らが一つのチームにまとまるだろうか――、また、クラブの生え抜きのスターたちと新しい外国のスターとの間はうまくゆくのだろうか――。
 そういう声にチームの生え抜きの一人ラウルはこう言っている。
「フィーゴが来てチームは活性化した。彼は偉大なプレーヤーであるだけでなく、ピッチを離れても、私と良い友人。プライベートな面でも仲間となっている」
 そしてまた、スペインで多くの外国人スターが働くことで、スペイン生まれの選手たちの働き場が少なくなるのではないかとの声に対しては、「外国人選手とプレーすることは若手にとっても良い経験になり、進歩につながる。スペインには有望な若いプレーヤーがたくさんいるから、そんな心配をすることはない」と答えている。
 24歳の若さながら、こうした寛容で幅の広い考えを持つラウルは、フィーゴやジダンとともに次のシーズン、いよいよ100周年記念の「世界一」を目指すことになった。


(週刊サッカーマガジン 2009年10月13日号)

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