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【番外編】日本代表の進化とヴィッセルU−15の初優勝に思う


「サッカーマガジンの連載、ずっと読ませてもらっています」。10月16日、神戸ポートピアホテルでのヴィッセル神戸ジュニアユース(U−15)の全国優勝の祝賀会で、こんな声をかけられた。
 ヴィッセルのU−15チームに、自分たちが育てた少年を送り込んでいる各クラブの指導者たちの何人かからだった。
 滝川二高で実績をつくった黒田和生さんがヴィッセルの育成担当として加わったことや、兵庫県協会の新しいバックアップ策などもあって、ここのところこのクラブの育成部門が活気づいてきたのを反映するように、U−15チームが全国大会で優勝した。正式には「アディダスカップ2009 第24回日本クラブユースサッカー選手権(U−15)大会」と言い、各地の予選を経た32チームが8月14日から23日まで、1次リーグ(8チーム)の後、ノックアウトシステムで、ラウンド16から決勝へと勝ち上がった。ヴィッセルのU−15チームは1次リーグGグループを3勝(得点12、失点0)で勝ち上がり、ノックアウト1回戦でアビスパ福岡を3−0、準々決勝でセレッソ大阪を4−1、準決勝で名古屋グランパスを2−0で破って、決勝でも京都サンガを3−1で下して優勝した。
 戦前のサッカー先進地域であった神戸や兵庫県が、長いあいだ、全国でのナンバーワンという称号から遠のいていた中でのU−15の優勝だけに、私たちはとても嬉しかった。

 嬉しいのもう一つは、このチームが大会の合計7試合で24得点、1試合平均3点を取っていることだ。
 そうしたU−15に少年たちを送り込んで下さる各地のクラブの指導者の何人かに、このストライカーの記憶を読んでもらっている――、ストライカーに関心を持ってくれていることを知ったのは、これまた嬉しいことだった。

 私自身、この雑誌でサッカーについて書くようになってまず、このスポーツの広さ、深さを伝えたいとして、各国の歴史や風土に根を下ろした、世界のそれぞれの国や地域での発展に目を向けたこともあった。
 日本のサッカーについても、各地での発展の歴史を眺め、野球という世界でも特殊なスポーツが早くから根付いたこの国で、サッカー人たちがどのように普及を図ってきたか、また技術を伸ばし、戦術を工夫し、その指導をどのように行なってきたかなどをも紹介し、歴史に関心を持つとともに、その戦術、技術の進化の流れの中から多くのサッカー人が次の進歩へのヒントを掴んでほしいと願ったこともあった。
 サッカーマガジン編集部の皆さんと相談して始めたこの「ストライカーの記憶」という連載は、広いピッチでプレーするこの競技で、ストライカーというポジションのプレーがチームの勝利やゴールを奪うために、どれほど重要かということを語り、関心を高めたいとの考えからだった。

 いま連載中のラウル・ゴンサレス、スペイン代表であり、レアル・マドリードの生え抜きでもあるこのプレーヤーは、1977年生まれで日本の中田英寿と同年代――、その彼とともに“銀河系”と言われたルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、そしてロナウドたちの2002年−06年の時代、さらには今年に入ってのクリスチアーノ・ロナウド、カカーたちが加わった“新銀河系”時代を眺めるこのシリーズは、私たちから見ればいささか高レベルすぎる感が無いでもないが、こうしたスター群の攻撃の中にも参考になる何かが見られるのではないか――。

 すでに紹介してきた1950年−60年代のフェレンツ・プスカシュをはじめとする古今東西の名選手たちには、それぞれ共通するものがあり、個性は違っても、それぞれがシュート、ボールを蹴ることの上手なこと、その自分の得意な形で蹴るためのトラッピング(ボールを止める)が巧みなこと、そして、もちろんボールをキープし、ドリブルで突破するからだと技術を持っていることが挙げられる。そして、何よりも自分がどこで点を取れるかを把握し、仲間にもそれを理解させる力のあることなどが、その一つひとつのゴールを重ねていきながら見出すことができた。
 もちろん、そのためのマーク相手との駆け引きもまた面白いのだが、常にディフェンダーに監視されつつ、それを突破してシュートやヘディングにかかるときに、相手側にはゴールキーパーというゴールを守る専門家がいるところにも、特異性がある。
 守りの発達した現代のサッカーのせいか、ここしばらく日本ではストライカー不足とか、得点力不足が語られてきた。その理由はいろいろ語られているが、日本サッカー界全体に点を取ること、FWの選手、ストライカーに関心を持つことが増えてきた。その証が日本代表からヴィッセル神戸のU−15まで表れてきたことが何よりといえる。


(週刊サッカーマガジン 2009年11月10日号)

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