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6人抜きのスーパードリブル

 チェコスロバキアには、自分たちのスタイルに対する誇りと、自信のなさが同居しているようにみえる。長所がすなわち弱点にもなり得るという考え方からみると、至極当たり前かもしれない。来日したデュクラ・プラハの役員も、チェコのサッカーは少しスローテンポなので、もっと速いプレーをするようにしたいと言っていた。スラブ気質のチェコ人たちのなかに、あるいは、“速さ”への憧れが潜在しているのかもしれない。

 それはともかく、1960年に代表から外されたマソプストは、すでに峠を越えて、下り坂のプレーヤーと見なされていた、それが思わぬチャンスをつかむことになる。

 オーストリアとの試合の直前になって、3人のミッドフィルダーのうちプラスカルが故障で欠けることになった。若い有望プレーヤーを補充するのに、南のブラチスラバや東のコシチェの町からでは移動に時間がかかり過ぎる。そこで、プラハにいるマソプストが22人のメンバーに入った。

 この時、彼はラストチャンスを必ずものにしようと決心し、対オーストリア戦では自陣ハーフライン内側からドリブルで相手選手6人を抜き、ゴールキーパーもかわして、ドリブルでゴールの中へ入るというスーパープレーをやってのけた。

 マソプストの“実力”の証明は、62年のワールドカップでも発揮され、1次リーグで彼を軸とする代表チームは、1−0スペイン、0−0ブラジル、1−3メキシコの成績でブラジル(2勝1分け)に次いで2位となり、1次リーグを突破。

 準々決勝 1−0ハンガリー、準決勝 3−1ユーゴと勝ち上がって、決勝で再びブラジルと顔を合わせた。

 1次リーグ第3組で、すでにブラジルの手の内を知ったチェコは自信を持ってスタートし、早いうちに右のポスピカルからのパスを受けたマソプストが先制ゴールを挙げた。しかし、これまで大活躍してきたGKシュロイフにミスが出て、結局1−3でブラジルに敗れた。

 この大会は勝利への執着から悪質なファウルも多かったが、チェコの上位進出はマソプストの名声を高め、ボヘミアン・スタイルは注目を集めたものだった。


(サッカーダイジェスト 1991年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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