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ラウル・ゴンサレス(13)銀河系レアルに、またまた超人気のベッカム加入。戦力マケレレ去って低迷へ傾く


 南アフリカとの、アウェーでの親善試合と、香港でのアジアカップ予選が終わって、日本代表の2009年のスケジュールは終わり、いよいよ本番の2010年に向かうことになる。ワールドカップのアジア予選突破を果たした代表チームの選手たち、岡田武史監督をはじめスタッフのみなさんに感謝と敬意を表したい。
 これからの強化についてはJFAあげての取組みになるだろうが、南アフリカ大会を目指す一人ひとりが自らの体調管理と個人力アップを図ることが大切なのは言うまでもない。

 日本のフル代表が初めて、国際舞台でメダルを獲得した68年メキシコ・オリンピックでは、大会の7ヶ月前に当時24歳の釜本邦茂(同大会得点王)がステップアップして、ワンランク上のプレーをするようになったことは、あまり知られていない事実――。すでに大きな進化の兆しを見せている人もいるが、この恵まれた環境のなかで、1人といわず、2人、3人と出てほしいと願うのは、贅沢ではないハズだが……。


 さて、連載のラウル・ゴンサレスに移る。
 彼のレアル・マドリードは2002−03シーズンにリーグ優勝はしたが、欧州制覇を逃したあと、デビッド・ベッカムという超人気スターを加えることになる。
 ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、それにロベルト・カルロスやラウル自身など、ビッグネームがあふれんばかりのレアルではあったが、彼らはいずれもピッチ上のプレーで名声を得たフットボーラーであるのに対し、ベッカムにはピッチでの素晴らしいプレーとはまた別のスター性があり、英国のメディアによるその日常の一挙手一投足の取り上げによって、かつてのジョージ・ベスト同様にミュージシャン、映画スター、あるいはテレビタレントさながらの人気者になっていた。
 Tシャツ販売をはじめとする商業活動を重視するフロレンティーノ・ペレス会長はベッカムを獲得し、レアル・マドリードの名をさらに世界に浸透させようとした。
 そのベッカム人気の凄まじさは、シーズン前のチームの極東ツアーで証明され、ジダンやロナウドたちもベッカムに集まるアジアの大観衆を見て、改めてこの“格好いい”プレーヤー別格の人気を知ったという。

 スーパースターの集まりの上に、さらに超人気のスターが加わり、それぞれが個性的となれば、その数が多ければ多いほど融合は大変。しかも、ベッカムはフィーゴと同じ右サイドを得意とすることもあって、メディアの注目の的となった。
 この点は、フィーゴ自身がベッカムのやりやすいようにと譲ることになったが、守備的MFのクロード・マケレレはそうはいかない。
 マケレレは日本でいえば、明神智和……、危険を嗅ぎとる天性を持ち、相手の攻めの芽を摘み取り、攻めに転じる才能と、それを可能にする衰えぬランと技術を備えている。フィーゴのドリブルやジダンのパスの華やかさに比べれば地味ではあるが、レアルにとって欠かせぬ守備的ミッドフィルダーである彼が攻撃のスターたちの高額を見て、自らの収入アップを唱え、それを認めないペレス会長のもとを去ってしまった。

 大スター加入による問題は、これまでにもあった。ラウルと古くからのパートナーのFWフェルナンド・モリエンテスがロナウドの加入でポジションを奪われ、ついにはチームを去った。2002年のスーパーカップで、ラウルがモリエンテスのユニフォームを、自分のユニフォームの下に着て戦い、優勝を達成したというエピソードもあるのだが……。

 マケレレが去ったのは、私には小さな波紋で止まるとは思えなかった。
 03−04シーズン、レアルはリーガエスパニョーラで21勝7分け10敗で4位に終わった。優勝はバレンシア(23勝8分け7敗)バルサは2位(21勝8分け9敗)。3位はデポルティボ・ラコルーニャ(21勝8分け9敗)で、レアルの総得点は72と首位バレンシア(71)よりも多く、リーグでトップだったが、失点は54で、バレンシア(27)の倍もあった。
 ロナウドは24ゴールで得点王になったが、ラウルのゴールは11(35試合)。レアルは国王杯決勝でもサラゴサに敗れた(2−3)。欧州チャンピオンズリーグでは、第1ステージのF組でポルト、マルセイユ、パルチザン・ベオグラードを抑えて4勝2分け(11得点、5失点)で1位となったが、ノックアウトラウンドに入ってバイエルン・ミュンヘンを1勝1分けで退けたものの、準々決勝でモナコにホームで勝ち(4−2)、アウェーで敗れ(1−3)、アウェーゴールで敗退した。
 ラウルは9試合に出場して3得点。レアルとラウルは低迷へと傾き始めていた。


(週刊サッカーマガジン 2009年12月15日号)

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