賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ラウル・ゴンサレス(15)04〜06年の低迷“銀河系”。ファンニステルローイの加入で上向きに

ラウル・ゴンサレス(15)04〜06年の低迷“銀河系”。ファンニステルローイの加入で上向きに


 鹿島アントラーズのJ1三年連続優勝は、ビッグクラブ浦和とのアウェー戦という申し分ない舞台だったから、優勝から縁遠い関西のファンにも、とてもエキサイティングで感動的だった。
 満員の埼玉スタジアムの歓声と興奮ぶりをテレビ画面で見て、日本の初冬の土曜日にこうした試合が組まれ、多くの仲間とサッカーの楽しみを共有するうれしさを味わったものだ。
 その楽しいJのなかに気がかりもないではない。その一つが、この1週間前の鹿島―G大阪戦の鹿島の先制ゴール。56分に小笠原満男がペドロ・ジュニオールのボールをハーフウェーライン付近で奪い、右のスペースへ走った興梠慎三へパス、興梠は追ってくる中澤聡太を2度の切り返しでかわして、シュートを決めた。

 相手ボール奪取からの素早い攻めは小笠原の得意芸で、この日の興梠は意欲も、体のキレも、スピードも素晴らしかったから、攻撃側の成功となったわけだが、守備側から見ればペドロの奪われ方に問題があり、興梠を追った中澤は困難な条件であったに違いない。それでも対興梠の応対がどうだったのか――は問われることになる。何人かの専門家とこの場面について話したとき、守備側のプレーについての反応が少なかったのには、いささか驚いた。
 今の守りの考え方からゆくと、ペドロの奪われ方が悪い(相手の奪い方が良い)というところで終わるように見えるが、そういう不利な状況のもとで、ディフェンダーはどうするべきなのかを考え、実行することが1対1の能力アップにつながるはず。中澤をはじめ、良い素材が続々とJに登場するようになった今、こうした面にもサポーターやファンの目が向くようになれば、比較的地味なディフェンダーの励みにもなり、彼らのレベルアップ、ひいてはJと日本代表のアップにつながると思っている。


 表題の我が心のゴールハンターは、ラウル・ゴンサレスのシリーズ。レアル・マドリードという“世界一”のクラブで育ったFWが、2002−03年からの豪華メンバーとの共演をこなしながら、スーパースター軍団とともに停滞期に入ってゆくところ――。
 2004年の欧州選手権はギリシャの意外な優勝と、実力ある開催国ポルトガルの準優勝となり、スペイン代表とキャプテンのラウルにとっては1次リーグ敗退という苦い結果に終わった。
 これに続く04−05シーズン、ラウルとレアル・マドリードはリーガエスパニョーラでバルサに次いで2位。チャンピオンズリーグはBグループの2位でノックアウトステージへ進みながら1回戦でユベントスと1−0、0−2の1勝1敗、得失点差で敗退した。
 GKイケル・カシジャス、DFはミチェル・サルガド、イバン・エルゲラ、ワルテル・サムエル、ロベルト・カルロス。さらにデビッド・ベッカムとグラベセンにロナウド、ラウル、フィーゴ、ジネディーヌ・ジダンと並んだこのチームの一人ひとりを見れば、負けるのが不思議のようだが、彼らの巧妙さを一体化する何かが欠けはじめていた。

 フィーゴが去った次のシーズン、ブラジルからロビーニョが加わったが、成果は上がらず。リーガエスパニョーラでは、またまたバルサに及ばず2位。それも勝点差12と大きく水をあけられ(前年は4ポイント差)、ゴール数もバルサの80得点35失点に対して、70得点40失点と見劣りした。クラブが何よりも期待するチャンピオンズリーグでもグループステージF組ではリヨン、オリンピアコス、ローゼンボルグを相手に3勝1分け2敗で2位をキープしてノックアウトステージでは、1回戦で敗れた。相手はアーセナル。ホームでの第1戦でティエリ・アンリに決められて0−1。アウェーの第2戦は0−0だった。
 ラウルは、Fグループで2得点を記録したが……。

 1977年6月27日生まれ、日本の中田英寿と同年代で中村俊輔より1歳上。小笠原よりも2歳年長となるラウルにとって、この04−05年は、27〜29歳で、本来はもっとも華やかな充実期であるはずだが、若くして高みに上った彼には苦しい停滞期となっていた。フロレンティーノ・ペレス会長の“銀河系集団”は不成績のゆえにまずは監督の交代がはじまり、新監督はまた成果を上げようとスーパースターにも厳しく、試合中の交代もはじまり、それがまた不協和音ともなった。
 ラウル自身も8ヶ月間ノーゴールの辛い時期もあった。厳しさで知られるアントニオ・カマーチョが、このときもラウルをメンバーから外さなかったのは、このチーム生え抜きのキャプテンを支持するファンの声に留意したのかどうか――。

 自縄自縛の深みにはまりこんでいるように見えたレアル・マドリードが、まがりなりにもリーグ優勝という形で盛り返すのは06−07シーズン、ファンニステルローイという新しいオランダ人大型ストライカーが加わってからとなる。


(週刊サッカーマガジン 2009年12月29日号)

↑ このページの先頭に戻る