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ストリート・サッカーから代表へ

 マソプストより前のプレーヤーについては、私にとっては伝説でしかないが、1934年、第2回ワールドカップでやはり準優勝となった代表チームのGKパネンカのエピソードを紹介しておこう。

 この大会はファシスト党統治下のイタリアが、首相ムッソリーニのお声がかりで国を挙げて取り組んだ国際スポーツ大会。当然、イタリア政府はイタリア代表の優勝を願い、代表チームもそれに応えて優勝したのだが、チェコスロバキア代表もまた強く、
1回戦 2−1ユーゴ(トリエステ)、2回戦 3−2スイス(トリノ)
、準決勝 3−1ドイツ(ローマ)
と勝ちあがり、決勝は90分を終わって1−1。延長に入ってイタリアが1点を奪ったのだった。

 パネンカは、ストリート・サッカーで遊んでいるところをスラビア・プラハの役員に認められて入団し、30年間トップ・プレーヤーの地位を保ち続けた。彼によると、このときのイタリア大会は場内の空気を主審が反映して、判定はイタリアびいき。チェコは最後には10人になってしまったという。

 この頃のチェコは欧州中部での強豪チームに挙げられ、1938年にはイングランドに招かれて、ホワイト・ハートレーン競技場で母国のプロフェッショナルと対戦。敗れはしたが4−5の好試合を演じている。

 パネンカによると、彼はプレーでお金をもらったことはなく、週5回の練習、日曜日の試合というスケジュールは、すべて“喜び”のためだけだった。

 試合や練習のあと、2本のソーセージとマスタードとパンとビールが提供された―――というあたりは、いかにもボヘミアらしい。


(サッカーダイジェスト 1991年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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