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ウェイン・ルーニー(3)地元の少年チームで99得点。9歳で「CFディーン」伝説のエバートンへ


 2月2日のキリンチャレンジカップ、対ベネズエラ(大分、九州石油ドーム)とその後に続く東アジア選手権2010決勝大会の日本代表候補が1月13日に発表され、そのFWのなかに平山相太(FC東京)の名があった。前号でもふれたアジアカップ予選、対イエメン(1月6日、サヌア)での3ゴールが評価されてのこと。6月の南アフリカ・ワールドカップの本番を前に、この2月の4試合シリーズでの彼のプレーは代表候補の国内組の成長とともに、大きな楽しみとなる。これまでいささか回り道をしてきた感のある平山には虫のよすぎる注文かもしれないが、南アフリカで活躍を期待されているクリスチアーノ・ロナウド(ポルトガル)やウェイン・ルーニー(イングランド)と同じ1985年生まれの彼に、せっかくのチャンスを生かしてほしいと願う。


 さて、ルーニーの話――。
 こちらはすでにマンチェスター・ユナイテッドの6シーズン目、世界のトップリーグのトップチームのなかで100ゴールの実績とプレミアリーグ3連覇、欧州チャンピオンズリーグ優勝1回、FIFAクラブワールドカップ優勝1回という栄誉を手にしていて、今季もリーグと欧州の覇を争うだけでなく、ワールドカップでも久しく遠ざかっている世界一の座を狙うイングランド代表の主砲でもある。
 平山より3ヶ月ばかり若い、この24歳の大スターの名を初めて知ったのは02年10月1日に彼が16歳342日の若さでエバートンのクラブ最年少ゴールを記録したとの記事を見たときだった。
 日本ではあのワールドカップ2002 KOREA/JAPAN、日韓共催大会の成功と、その余韻に酔っていて、私自身もこの話を知ったのはニュースではなく、翌年発行された「スカイスポーツ・フットボールイヤーブック2002−03」のエバートンの項だから、不勉強もいいところ。

 そのころ03年秋の「FIFAワールドユース選手権UAE」で当時17歳6ヶ月の平山はドバイでの第3戦、エジプト戦(1−0)で1ゴールを決めている。国見高の高校生であった彼は今野泰幸(当時・札幌)徳永悠平(早大)坂田大輔(横浜FM)といったJリーガー、大学生たちのチームに加わって5戦中の3試合に出場して2ゴールを決めているのだが……。

 それはともかく、このエバートンでの年少ゴール記録は、日韓ワールドカップとその後のJの繁栄回復、さらには関西のJチームの一つ、セレッソ大阪のJ1、J2の往復などによる国内取材の繁忙に追われがちな私には、ちょっとした衝撃でもあった。
 それは一つにはエバートンといえば、サッカー史に輝く1927−28シーズン1部リーグ(現・プレミアリーグ)で60ゴールという不滅の記録を残した大ストライカー、ウィリアム・ラルフ・ディーン、通称「ディキシー・ディーン」のチームであったからでもある。そして、またルーニーによって更新された年少記録がトミー・ロートンの17歳130日であり、ロートンその人もまた、1930〜40年代のイングランドを代表するセンターフォワードでもあった。私にとって、この2FB時代から3FB時代に移行したころのCFたちは歴史上の名手というだけでなく、田辺五兵衛さん(故人・元JFA副会長)から語られ、聞かされた憧れのスターでもあった。
 その古い時代の大ストライカーを思い起こさせたイヤーブック(年鑑)の囲み記事によって知ったルーニーは、この一軍の年少記録以前にも近隣では早くから評判のサッカー小僧であったらしい。

 イングランドの北西部のリバプールにはリバプールFCとエバートンFCの名門クラブがある。ここしばらく、リバプールの方が強く、日本でも有名だが、エバートンは1878年創立と歴史はより深く(リバプールは1892年)根強いサポーターを持っている。
 そのグディソンパーク競技場からそれほど遠くない公営住宅に住むサラリーマン一家の長男として生まれたのがウェイン・ルーニー。父はウェイン、母はジャネット、弟二人のいる5人家族で、母親は学校給食係の仕事で家計を助けていた。

 ルーニーという家名は、物の本によるとアイルランド系で「ルーナイディアの子ども」ということ、ルーナイディアにはチャンピオンの意味があるという。そのせいかどうかはともかく、少年サッカーの仲間で彼は早くから注目され、ウォルトン・アンド・カークランド・ジュニアリーグ(9歳)の最後のシーズンで99ゴールを記録している。そんな彼に目をつけたのがエバートンのスカウト。一家挙げてのファンで、部屋にもクラブのペナントがいっぱい飾られていたほどだから、クラブ入りには異存はなかった。クラブ同士の9歳以下の対戦でマンチェスター・ユナイテッドを相手に6ゴールしたのもこのころの話である。


(週刊サッカーマガジン 2010年2月9日号)

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