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ウェイン・ルーニー(4)対ハル・シティで4ゴール。09−10シーズンで得点記録を伸ばす


 1月23日のイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッド対ハル・シティ(4−0)で、ウェイン・ルーニーが4得点を決めたというビッグニュースが入ってきた。
 この勝利でマンチェスター・Uは、同日に試合のなかったアーセナルとチェルシーを抜いて首位に立った。勝点50、両チームとの差は2だから、3強のトップ争いはまだまだ続くのだろうが、一時的にせよ、首位を奪還したのは、クラブにもサポーターにも嬉しい話。ましてルーニーの4ゴールという特大の福袋付きなのだから……。
 1点目はポール・スコールズのシュートを相手GKボアズ・マイヒルが防いだリバウンドを決めたもの。その少し前に左から侵入してマイケル・オーウェンに良いパスを送って実らなかった少し後だった。
 オーウェンとルーニーはこの日、いくつかのチャンスを生んだが、ゴールはなかなか生まれず、ハルにも好機があった。
「追加点を取れずに少しいらいらした」とは試合後のルーニーの言葉なのだが、42分にイエローカードを出されたのもそのためかもしれない。

 ハル・シティは、キングストン・アポン・ハルという人口30万人余りの町を本拠にしたクラブ。昨シーズンからプレミアリーグで戦い17位。今季も下位にいるが、08−09シーズンの対マンチェスター・U戦の2敗も3−4、0−1のスコアが示すとおり粘り強い戦いをする。この日もよく防ぎ、いくつかのチャンスもつくってオールド・トラフォードのサポーターをひやりとさせたが、その抵抗も82分(後半37分)の2点目で力尽きる。
 ナニのFKをGKが防ぎ、そのこぼれ球の混乱をルーニーが逃さなかった。その3分後にナニからのクロスをヘディングで決め、ロスタイム(93分)にはディミタル・ベルバトフ(オーウェンと交代)との見事な連係プレーで4点目を奪った。

 ルーニーにとってプレミアリーグでの4得点は初めて。今シーズンは11月28日の対ポーツマス(4−1)のアウェーで3得点していて、ハットトリックは2度目となる。
 これでゴール数は19(23試合)となって彼自身の1シーズンのリーグ記録(05−06シーズン、16点)を超えた。
 この試合で英国のメディアは、一方でハルの82分間の善戦ぶりを伝えたが、それを最後の8分間で4−0にしたのは、リオ・ファーディナンドの復帰やサイドの支援など、このチームの底力とともに、ルーニーの強いゴールへの意欲があってのことだろう。

 彼をマークしたアンソニー・ガードナーはトットナムやエバートンでもプレーしたベテランのCBだが、「ルーニーはときには深く戻ってボールを受けるなど、動きに変化があってマークしにくい。終盤にベルバトフが入ってきて二人の息が合い始めて、やられそうな予感がした」と言っている。
 ルーニー自身は「プレミアでの4ゴールは初めてだから、とても嬉しい。4ゴールの記憶? といえば12歳頃からないんじゃないかな」とプロになって初めての大量得点を喜んでいた。

 4ゴールのニュースにいささか行数を費やすことになったが、前号のあとを受けて、9歳でエバートンFCの少年チーム(アカデミー)に入ってからの彼の成長ぶりに目を向けることにしよう。
 その前号でエバートンの少年チームで、マンチェスター・Uを相手に6ゴールを決めたと記したが、どういうわけか文中に「6」が抜けていたので改めて付記しておきたい。これはマンチェスター・Uの育成担当の言葉として残っていて、少年期でのルーニーの得点力はサッカー関係者にも驚きであったことを物語っている。

 そのルーニー少年はディキシー・ディーンやトミー・ロートンといった伝説のストライカーを生んだエバートンに入り、順調に伸びたようだ。16歳のときに、すでに19歳以下のチームでプレーすることになり、そこでも力を示した。日本流の勘定でゆくと中学3年生で大学1年生のチームに入っていることになる。
 こうした“飛び級”の考え方は欧州や南米などではよくあることだが、優秀なストライカーを輩出したエバートンのクラブ首脳の、ルーニーにかける思いを見た気がする。
 クラブのチェアマンのビル・ケンライトは16歳の彼を「最も偉大な才能、サッカーの全てを持っている」と言い、それはすでにU−17欧州選手権やFAのユース選手権でも認められていると公言した。
 2002年10月1日、リーグカップの対レクサム戦で、彼がエバートンのクラブ最年少記録(前号参照)を書き換えた18日後に、リーグの対アーセナル戦でタイムアップ直前に決勝ゴールを決めて、グディソンパークを沸騰させるとともに相手のアーセン・ベンゲル監督を驚かせた。「96年に私がイングランドに来てから、ルーニーはベストな若者だ」と。


(週刊サッカーマガジン 2010年2月16日号)

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