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ウェイン・ルーニー(5)エバートン時代、対アーセナルでプレミア初得点。18歳でEURO2004で活躍


 2010年の日本代表の初戦は0−0だった。2月2日、大分・九石ドームでのキリンチャレンジカップ、対ベネズエラは遠来のイレブンの体調が良く、しっかりプレッシング・サッカーを続けたのに対し、休養期を明けたばかりの日本代表は動きが重く、数回チャンスをつくったが、決定的とはいえなかった。日本らしい早い動きとパス攻撃でのゴールを期待し、失望したファンも少なかっただろうが、スケジュールの上から考えれば、まずまずというところ。
“大物・新人”小笠原満男が先発で出場し、平山相太が後半からFWに入ったのは期待どおり。小笠原は彼らしいボール奪取からの早いパスを見せ、平山も長身の威力を少しのぞかせた。

 南米では珍しくベースボールの方が人気のある国であっても、ベネズエラのプレーヤーはそれぞれに速さや強さがあったから、この後の東アジア選手権大会の3試合を控えている日本代表には良い経験になった、という岡田武史監督の言葉にはうなずけるが、休養明けの試合で「蹴る」技術の足踏み(あるいは後退)を見るのは嬉しいことではない。相手側のプレッシングの影響といえばそれまでだが……。


 さて、表題のウェイン・ルーニー。平山相太と同じ1985年生まれのマンチェスター・ユナイテッドのストライカー。相手のプレッシングをものともしない彼は、今シーズン、ゴールを量産中で、プレミアリーグ24節の対アーセナル(アウェー)でも自ら2点目を挙げ、3点目のパスを出し、3−1の勝利に貢献して首位争いの相手を倒し、ユナイテッドの2位維持に貢献した。

 この日はディミタル・ベルバトフとの2トップでなく、右にポルトガル人のナニ、左のパク・チソンと組み、ポール・スコールズがプレーメーク役。ナニの右サイドの突破によって生まれたオウンゴールで先制し、アーセナルが前掛かりになったところを、見事なカウンターからゴールを加えたのだが、チーム2点目の彼の得点は、自陣の深いところでボールを取って、右オープンスペースへボールを送り、速いドリブルを仕掛けるナニに合わせて一気に後方からゴール正面へ走り、ナニからのパスを右足のダイレクトで決めた。
 そのダッシュの速さとコース取りの上手さに、アーセナルのDFはマークできなかった。パク・チソンの3点目は、左サイド自陣近くから、パクとルーニーとのパス交換の後、パクがドリブルで突進、ルーニーがその右を駆け上がって、相手側がマークに迷ううちにパクが自らドリブルシュートを決めたのだった。深いところまで戻って守りに加わり、そこからパスを出し、突進するルーニーは、全盛期の森島寛晃のように相手側にはマークし難く、しかも、多彩なシュート技術を備えているから、マンチェスター・Uのサポーターには、まことに頼もしい。

 前号で、エバートンでレギュラーとなった2002年秋、10月19日にプレミアリーグで初ゴールを挙げたとき、相手のアーセナル監督、アーセン・ベンゲルの言葉を紹介したが、アーセナルはこれまでもルーニーに連勝記録をストップさせられたことがある。今季09−10シーズン、チェルシー、マンチェスター・Uはともに3強を形成している彼らにとって、またまたルーニーは厄介な存在となった。

 ルーニーがプレミアリーグに初めて登場したエバートン時代に戻ると、02−03シーズンは6得点(23試合)、リーグカップで2得点、このシーズン中にプロ契約して、それまでの週給50ポンドから150ポンドに一気にアップ。ルーニーの名前入りのTシャツの権利も1着3ポンドを取ることになり、これだけでも100万ポンド(1億5000万円)。またナイキとのシューズ契約でも年間25万ポンドを得ることになって、若いうちにクラブで一番の高収入プレーヤーとなった。
 次のシーズンで9得点(34試合)、イエローカードも10回出されて、“悪童”ぶりも有名になるのだが、2004年に欧州選手権大会(EURO)でイングランド代表として活躍して国際的に名を知られる。
 イングランド代表での初ゴールは、03年2月17日のオーストラリアとの親善試合、17歳111日の代表最年少記録をつくる。9月6日のEURO04予選第7グループのマケドニア戦で、公式戦初ゴール。予選8試合中の6試合に出場して2得点とした。

 04年の本番、ポルトガル大会では、グループステージ第2戦、対スイス(3−0)で2ゴール、第3戦、対クロアチアで2得点した。ポルトガルとの準々決勝で2−2、PK戦でイングランドは退く。ルーニーは前半30分に左足を負傷して交代した。
 代表監督のスベン・ゴラン・エリクソンは、18歳のルーニーを「コンプリート・フットボーラー」と言い、口をきわめて称賛した。「ゴールを奪うだけでなく、フットボールそのものがファンタスティックだ。EURO04の彼は58年ワールドカップでのペレの登場に比すべきサッカー界のビッグな出来事だ」。


(週刊サッカーマガジン 2010年2月23日号)

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