賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >パラグアイ0−0(PK5−3)日本 日本サッカー史の中に新しい彩りを加えた岡田武史監督の強運とそれをつかむ努力

パラグアイ0−0(PK5−3)日本 日本サッカー史の中に新しい彩りを加えた岡田武史監督の強運とそれをつかむ努力


 グループステージE組2勝1敗(1−0カメルーン、0−1オランダ、3−1デンマーク)ベスト8進出をかけた対パラグアイの延長引き分け(0−0)PK戦負け(3−5)――。日本代表は、自分たちの力どおりのプレーをした。
 40年ぶりに、大会を現地でなく日本で見るという不満はともかく、帰国した代表チームを関西空港に迎え合同記者会見に出席するという初めての体験もした。
 うれしかったのは、多くの選手の一人ひとりが「自分たちが力一杯やった」という満足感を持つとともに、それぞれが自信を取り戻し、合わせて世界に立ち向かうためには、まだまだレベルアップが必要だと自覚している様子が態度や言葉の端々に見えたことだった。遠藤保仁や中澤佑二のようなベテランに意欲がわき上がっている様子を見て安心もした。

 それにしても、岡田武史という監督の運の強さ、それを握って自分のものにする能力には感嘆の他はない。
 ともにアジア予選を切り開いてきた中村俊輔という優れたチームの中心選手が、土壇場になって調子が下降してレギュラーから離れることになったのは、この選手自身にとっても監督にもつらいことだったろう。98年のフランス大会本番直前になって、カズ・三浦知良をメンバーから外すことになったのも岡田監督のときだった。不思議な回り合わせというべきか――。
 もちろん、チーム編成にはこうした選考の苦渋はつきものだろう。64年東京オリンピック大会でも、それまでディフェンスラインの中軸だった小沢通弘(当時東洋工業)をメンバーから外したのは「健さん」長沼監督だった。努力と苦心を重ねた者には幸運もやってくる。岡田監督にとっての運は本田圭佑の急速な実力アップだった。ビッグマウスなどといわれながら、目標に向かって練習を重ねることを苦にしない本田は、彼自身のボールを蹴る力と、体の強さを足場に、オランダとロシアでレベルアップした。自らの特色の“蹴る力”を生かすためのトラッピングもドリブルも上手になっていた。いささか不勉強だった私は、日本代表の得点力のアップを願いつつ、本田を見てホッとしたのを覚えている。

 ゴールを奪うためには、上手なパスワークやシュートの上手なパスワークやシュートの巧さも必要だが、何よりも体の強さが大切(体の大小にかかわらず)というのが私の持論――ぶつかっても簡単に倒れない体を持つことが重要だった。その日本の攻めで一番不足している人材が、アジア予選を突破した後に大会が近付いてから現れたのだった。
 このことは1968年のメキシコ・オリンピック銅メダルチームで、大会の7ヶ月前に釜本邦茂が大変化したのと似ている。釜本は64年から既に代表のCFとしてその潜在能力は知られていたが、68年の1〜3月の西ドイツ、ザールブリュッケンでのユップ・デアバルコーチ(後の西ドイツ代表監督)によるマンツーマン指導によって変貌した。当時のドイツ人たちも驚く長身(182センチ)で速い(代表での疾走力は杉山隆一に次いで2番目)釜本のステップアップは、それまでの蓄積した基礎の上に一気にストライカー能力を積み上げたもの。私から見れば長沼監督の数多い幸運の中でも「大吉」の一つといえる。
 当時珍しいアイディアであった釜本の単身留学による成果と、本田が自ら選んだオランダ、ロシアでの成長――。68年の五輪銅メダルと32年後のワールドカップでの16強進出という日本サッカー史上の光彩に、それぞれの個性の成長が符合するところが面白い。

 岡田監督が本田を攻撃の軸にし、DFの前にアンカー阿部勇樹を用意して、しっかり守る姿勢を示すとともに、守りを基盤に積極的に攻めに出る、という構想は、カメルーンという格好の相手から先制点を奪い、サムエル・エトオらの攻めを跳ね返し続けて成功し、チームは一つになった。調子の上がった第3戦の相手がデンマークという、これもチームの相性から見て良い相手だったから、3−1の快勝となった。前半はじめにあれだけフリーにしたトマソンの調子が良くなくて何点かは助かったのも“運”のうちかもしれない。
 残念ながらパラグアイには勝てなかった。PK戦負けで駒野友一は前大会に次いで忘れ難い経験を重ねることになった。せっかく伸び始めたチームで、もう1試合戦いたいとイレブンはいっていた。そのとおりだが、サッカーの神様は運もくれたが、ここから上へ行くためにはもう少し力をつけなさい――と言っているようだった。

 南米優勢の声は、ブラジルとアルゼンチンの敗退で消え、リオネル・メッシとともにディエゴ・マラドーナも去った。運、不運、素晴らしい技術、すべてを含めてワールドカップは面白い。


(週刊サッカーマガジン 2010年7月27日号)

↑ このページの先頭に戻る