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1982年スペインW杯「黄金カルテット」

 “黄金カルテット”と呼ばれた、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾのMF4人と、MFのように攻め上がるDFジュニオール、レアンドロ、中央のDFはオスカーとルイジーニョ。そう、オスカーは日本リーグで日産がトップ・チームになったときにプレーし、監督をした彼だ。
 FWのエデルは強シューター、セルジーニョは長身で、それほど上手ではなかったが、第2列の攻め上がりのためのスペースをつくる役柄にみえた。
 彼らは1次リーグの第6組でまず強敵ソ連を2-1で破り、ついでにスコットランドを4-1で撃破し、新鋭ニュージーランドにも4-0と力の差を見せた。対ソ連は0-1からの逆転だったが、堅守のソ連ゴールを次々に襲うブラジルの攻めは、まことに圧巻。ソクラテスのミドルシュートも、エデルのワントラップ・シュートも“世界最高”のGKの一人とされたダサエフですら防ぐことのできない、ファインゴールだった。
 2次リーグでブラジルは、アルゼンチン、イタリアという強チームと同じC組に入ったが、まずアルゼンチンに3-1と完勝した。
 アルゼンチンは78年優勝チームにマラドーナを加えた豪華メンバーだったが、ジーコと仲間が演じるパスワークには勝てなかった。エデルの30メートルFKがバーを叩いたのをジーコが飛び込んで決めた1点目は、ブラジル人のキックの強さと、ジーコの狙いと動きの速さの証。2点目は長身セルジーニョのヘディングだったが、彼の頭へ合わせたファルカンの右クロスの正確さ。そのファルカンが右へ飛び出すためのスペース作り、中央部のジーコに相手DFを集中させ、そのジーコからファルカンへのパスを出させた中盤の構成の見事さ。3点目はカウンターから、左へ飛び出したジュニオールのノーマーク・シュートで、これもジーコのパスからだったが、チャンスと見れば攻撃の最先端へDFが上がってくる自由な動きー。
 このチームは82年にスペイン・ワールドカップの優勝にふさわしいと、誰もが思ったハズだったのに…
 そのチームがイタリアに2-3で敗れた。ロッシの、ゴールへの冴えたカンがブラジルのスキをついたのだが、私には、このときのイタリアの勝利は、DFのファウルを見逃したレフリーに原因があると今でも思っている。この試合がもし2-2だったら、ブラジルが得失点差でベスト4へ進出し、大会はもっと違ったものになっただろう。
 もちろん、このチームにも弱点はあった。トップにもう一人シューター、あるいは突破できる選手が欲しかったこと。カレッカがケガをしたのも原因だったろうし、ゼ・セルジオ(日立でプレーし、現在は同チームのコーチ)の故障もあったかもしれない。そしてまた、DFラインがクロスパスにポジションを乱すことも指摘はされていた。
 しかし、そういったウィークポイントがあってもなお、このチームはもっとも上手で、もっとも強いチームで、ブラジル人が10年間待ち望んだ、あの1970年のペレ、トスタンのワールドカップ優勝チームの再来のように見えた。

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