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90年イタリアW杯 GKステイスカルの好守

 次の西ドイツとの準々決勝では、まずチェコスロバキアの守りの固いこと、とくにGKステイスカルの良さが証明された。スパルタ・プラハに所属する27歳の彼は、もう一人のミクロシェコ(バニク・オストラバ、28歳)とともに評価の高いGKだが、ステイスカルは波のように攻撃を繰り返す西ドイツのシュートをセーブし、クロスを叩き、つかんだ。西ドイツのこの日のシュートは17本、そのうち14本がゴール枠内へ飛んできたが、PKによる1点に食い止めた。

 しかも、左右から飛んでくるクロスパスは合計18本、コーナーキックが9本もあったから、それだけでもステイスカルへのプレッシャーと要求された運動量はたいへんだったと思う。

 1934年、当時の中欧でNo1と言われたパネンカ、1962年の決勝ではミスしたものの、ワールドカップで上位進出に貢献したシュロイフらゴールキーパーの伝統は、イタリアでも輝きを失わなかった。

 前述のハシェクのゴールカバーも特筆されるが、GKが飛び出した後のゴールカバー、セットプレーの時の守備範囲の分担などが忠実に励行されていた。

 この固い守りを破って追加点を挙げようとする西ドイツが、後半の終わり頃にはあまりにも激しい動きのために疲れ果てていた。これは、いかにチェコの守りがよく、また、そのことがKOシステムのゲームでは、西ドイツのような強豪チームにとっても大きな精神的負担になったかが読みとれる。


(サッカーダイジェスト 1991年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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