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ヨハン・クライフ流を受け継ぎ、頂点に立ったスペインのショートパス


 ドイツとウルグアイの3位決定戦は、強シュートの応酬と迫力あるシーソーゲームで面白い試合だった。先制はドイツ。19分に、バスチャン・シュバインシュタイガーのミドルシュートのリバウンドをトーマス・ミュラーが決めた。その9分後にウルグアイがエディソン・カバニのシュートで同点として、51分にディエゴ・フォルランの見事なボレーで追い越して2−1。
 ドイツは5分後にジェローム・ボアテンクのクロスを190センチのマルセル・ヤンゼンがヘディングして同点とし、82分にはCKからゴール前に落ちたボールをサミ・ケディラが決めて勝ち越した。タイムアップ直前にもウルグアイにフォルランのFKというチャンスがあり、ドイツファンをヒヤリとさせたが、バーに当たった。

 この両国は40年前のメキシコ大会の3位決定戦でも顔を合わせ、西ドイツ(当時のドイツは東西に分かれていた)がボルフガング・オベラートの唯一のゴールで、名GKラディラオ・マズルケビッチが守るウルグアイを1−0で破っている。
 ちなみにウルグアイは準決勝で“王様”ペレのブラジルに敗れ(1−3)、西ドイツはイタリアとの延長の大接戦(3−4)で敗退。このとき肩を負傷したフランツ・ベッケンバウアーは、3位決定戦には出場していない。
 第1回(1930年)大会での初優勝以来、50年のブラジル大会での2度目の優勝、70年(大会40周年)のベスト4に続いて、80周年大会でのウルグアイのベスト4進出を見ると、節目の年でのこの国とサッカーの歴史を、あらためて思い起こすことになる。

 途中まで南米優位と見られていた今大会だったが、カカーのブラジルがオランダに敗れ、リオネル・メッシのアルゼンチンがドイツに完敗して、最後にトロフィーを争ったのは欧州チャンピオンのスペインと、そのスペインに現代サッカーを植え付けたヨハン・クライフの母国オランダだった。
 1993年のトヨタカップで、ヨハン・クライフ監督の下で戦うバルセロナを見たとき、「これはオランダ流だ」と感じたのは私だけではあるまい。テレ・サンターナ監督のサンパウロ(ブラジル)に敗れはしたが(1−2)私には、スペインのチームを訓練し、トータル・フットボールと、それに必要なランニングの量と質をバルセロナの新しいスタイルにしたクライフの力に感服したものだ。
 1970年代にクライフとリヌス・ミケルス監督がつくり上げた、中盤での“囲い込み”に始まるプレッシングサッカー、あるいはボールを取れば、第2、第3列がどんどん前へ飛び出していく、誰もが攻め、誰もが守る――「トータル・フットボール」は、自分たちのクラブ、アヤックスと、オランダ代表チームで成果を挙げ、74年ワールドカップでは決勝でベッケンバウアーの西ドイツに敗れはしたが、世界中から高い評価を受けた。

 そのクライフの変革によって現代のバルセロナは、レアル・マドリードの“銀河系”と称されるスター軍団に対抗して、優れたプレーヤーがパスの組み合わせの妙によって、それぞれの個性を生かす――いわばチームワーク重視、攻撃重視のチームとなり、シャビ(170センチ)アンドレス・イニエスタ(170)ダビド・ビジャ(175)といった体の大きくないプレーヤーの独特のタイミングのキック、トラッピング、ドリブルでの突破と、すごい運動量が、長短のパスの組み合わせとともにヨーロッパで最も楽しく、最も強いチームを生みだすようになった。
 チャンピオンズリーグの制覇もあり、今やバルセロナは欧州随一と評価されるだけでなく、スペイン代表チームもまたバルサのメンバーを主力として、その試合の進め方も同様にしてその実力を積み上げ、魅力と権威を高めた。

 決勝のテレビ画面を前に、「この試合をクライフはどう見ているのだろうか」と考えたものだ。
 詳細は別の機会として、今度の戦いではクライフのスペインの弟子たちは、師匠が掲げた攻撃サッカーの意志を継いでいた。フェルナンド・トーレスという、ここの攻撃陣の中でいささか異質で、それゆえに、このチームのアクセントであったストライカーを不調のままの今大会の流れと同じく、得点は延長に入ってからの1ゴールに終わった。だが、攻勢の維持と攻撃の繰り返しは、まことに見ごたえがあった。
 対するクライフの後輩たち、オランダは、まず激しいタックルで防ぐことから初めて、彼らの有効的な攻撃展開の妙を見せず、アリエン・ロッベンの俊足が目立っただけなのが、もったいなかった。
 それにしても第1回大会から80周年のこの大会で、イニエスタたち小兵選手の短いパスがこれほど人の目を集めるとは――。
 日本代表が第9回極東大会で、ショートパスで中華民国と互角の戦いを演じた(3−3)のも、80年前であったことを思い合わせれば、長くサッカーを見つめてきた者にも、自ら感慨ひとしおだった。


(週刊サッカーマガジン 2010年8月3日号)

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