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日本サッカー殿堂入り。多くのお祝いメッセージありがとう。ちょっと嬉しく、少し気恥ずかしい85歳の本人から 賀川浩


天国からのお祝い品

「日本サッカー協会の殿堂入り、おめでとうございます」――という私、賀川浩宛の電報やメール、お便りをたくさん頂戴しました。まことにありがとうございます。
 サッカー界の大先輩、田辺五兵衛さん(故人、第1回殿堂入り)のご子息、篤二郎さんがご自分で花を持ってこられたのには恐縮しましたが、そのとき、こんなものが出てきました――と、たくさんの「ガラス乾板」を届けて下さったのも驚きでした。
 個人の厖大なコレクションは神戸FCに「田辺文庫」として保管されていますが、ときたま未整理の物が現れるとか――。どうやら、パリ・オリンピック(1924年)の出場各国チームを複写したものらしく、また出身の桃山中学(現・桃山学院高校)の蹴球部員の写真の複写もあるようです。そのガラス板は、これもお祝いに来て下さった灘高OB会の木下岩男さんにお願いして、スキャナーにかけて調べてもらっています。
 篤二郎さんの、天国のお父上からの贈り物は別格としても、たくさんの方々からお祝いの会をしようという申し入れが多いのにも恐縮しました。


日本サッカー殿堂に掲額

 スポーツで“殿堂”といえばベースボールの本場、アメリカのクーパーズタウンにある「野球殿堂博物館」(National Baseball Hall Of Fame And Museum)が有名でしょう。野球のメッカといわれるこの博物館を模して1959年に日本の野球界にも後楽園球技場(現在は東京ドーム内)に「野球体育博物館」が生まれ、“殿堂入り”の表彰制度が続けられています。
 サッカーでは、本家イングランドに「English Football Hall Of Fame」が設けられていて、イングランドのフットボールに功績のあった名選手や、優れた監督が掲額されています。みなさんご存知のサー・ボビー・チャールトンやドリブルの名手、サー・スタンリー・マシューズなどは当然でしょうが、外国人であるオランダのデニス・ベルカンプなどが表彰されているのも面白いところ。
 日本サッカー協会(JFA)がJFAハウスに日本サッカーミュージアム(博物館)を開設したのが2003年12月22日、2年後の2005年に日本サッカー殿堂を開設し、第1回の殿堂入り表彰を5月27日に行ないました。以来、昨年までの6回で49人が殿堂入りし、今年、第7回表彰式で6人が加わり合計55人となりました。その6人の一人に私がいたのです。

 東京都文京区本郷3丁目10−15、通称「サッカー通り」にあるJFAハウス内のミュージアム内には、あの2002年ワールドカップ日韓大会をはじめ、ワールドカップ各大会のパネルや映像など、そのときの興奮がよみがえり、またトレーニングサイトやスタジアムのロッカールームなどのゾーンでは、入場者自ら代表選手になった気分を味わえる。さまざまな趣向をこらしたこの地下2階の有料ゾーンはサッカー好きには誠に刺激的で楽しいところです。多種多様なグッズの販売と共に、長時間いても飽きることはありませんが、この階とは別の「ロゥアースタンド」と呼ばれる地下1階の「日本サッカー殿堂」は両側に功労者の肖像銅板が掲額され、落ち着いた照明と共に、日本サッカーの歴史を振り返り、先人の仕事とそれぞれの時代に思いを巡らせる場となっています。
 サッカーの広さ、深さ、楽しさを伝えたいとスポーツ記者という職業を選んで60年、いろいろ書き続けながら、サッカーの歴史を描くことで日本の近代史、現代史を眺めてみよう――そのために、それぞれの時代に活躍した先人を紹介してゆこう――と2000年4月号からグランで『このくに と サッカー』の連載を始めました。先月まで127回、私見で取り上げた60人の中に殿堂入りされた方も少なくありません。昨今の社会のサッカー史への関心を見ると、この企画を取り上げて下さった編集者の先見に感服します。そうした仕事を続けてきた私が、自ら書きつづった名選手や会長さんたちと並んで掲額されるのは、嬉しくもあるが気恥ずかしくもあります。スポーツ記者一筋、書き物以外に何も世に残すことのない私の唯一の遺品かもしれません。


(月刊グラン2010年11月号 No.200)

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