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90年イタリアW杯 伝統的なボヘミアン・スタイル

 この試合の前半は、西ドイツのスピーディーでしかも大きな動きに、チェコはボールをつないで攻めることが難しかった。切り札のスクラビーやクノフリチェクのヘディング・シーンは少なかったが、そのクロスのひとつは中央のモラフチクがドリブルから右サイドへパスし、ハシェクが上げたもの。そのモラフチクのドリブルは、後方からのボールに対し、相手を背にしながら右足アウトサイドでトラップして、右へ出るとみせかけて左へターンしたスクリーニング。伝統的なボヘミアン・スタイルの一つだった。

 チェコのプレーヤーが、相手とボールの間に身体を入れてキープするのがうまい―――という話は前号で高橋英辰さんのスピーチとして紹介した。後方から来るボールをこの形で「持ちこたえる」のは、攻撃のときに非常に大切なテクニックだが、日本ではこれのできるプレーヤーが少ないと監督、コーチたちは嘆く。

 チェコスロバキアのプレーヤーは、どういうわけか身体でボールをカバーするのがうまく、スクリーニングは随所に見られる。むしろ、単純に前へ突っかければいいというときでも、これまではいったんボールをキープすることが多く、そこからチェコのプレーはスローという指摘もないではないが……。

 1980年の欧州選手権開幕試合、チェコスロバキア(1976年優勝)対西ドイツ戦を見たとき、彼らのオープン攻撃がずいぶん長いパスを使いながら、トップのプレーヤーの「持ちこたえのキープ」がうまいため、第2列のフォローが可能になるのに感心したものだ。

 さて、イタリア・ワールドカップでの西ドイツ戦、後半なかばから西ドイツの動きが落ちたときに、チェコスロバキアが攻めに出たが、69分にモラフチクがタテパスを追って倒れ、怒って左足を振ったところ、スパイクが脱げて舞い上がった。それをレフェリーは、主審への反抗的態度として『赤紙』(すでに黄色が出ていた)を出して、退場処分にした。

 これはボールを追って西ドイツのリトバルスキーと並走し、モラフチクが身体を入れようとして預けたとき、リトバルスキーが身体をずらせたため、モラフチクはバランスを崩して(あるいはリトバルスキーが見えないように引っ張ったのかも)倒れたのだった。高速の突進、しかも疲労が重なっているときに、身体でカバーしようとしたところに、あるいは落とし穴があったのかもしれない。もし、彼が退場処分を受けていなければ……。

 最後の7分間で見せた西ドイツの疲労ぶりから判断して、あるいは同点ゴールが生まれたかもしれない。ゲームに禁句の“もしも”と言いたくなるほど、この日のチェコのプレーヤーは90分の試合を最後まで戦った。

 西ドイツの素晴らしい攻めに耐えて、疲れた身体を引きずって反撃に出る。その一つひとつのプレーに彼らの伝統である柔らかさと、ステップのリズムを見ることができた。

 中部ヨーロッパで長い伝統と文化を持つこの国が、第二次世界大戦直後から社会主義体制となって、ソ連型の経済政策をとり、スポーツもその政策の中に組み込まれていた。

 マソプストのような優れたプレーヤーも、選手として晩年を迎えてから初めて国外でのプレーが許され、ベルギーの2部チームで働いたりした。90年イタリア・ワールドカップの代表の中には、国外でプレーするために亡命した選手が二人いたが、これからは外国との交流も違った形になるだろう。

 これまでもサッカー強国であったこの国が、新しい政治の下でどういうふうにそのスポーツを発展させ、サッカーを伸ばしていくのか。しばらくは、ボヘミアン・グラスの国、ドボルザークの国のサッカーから目を離せないと思う。


(サッカーダイジェスト 1991年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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