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サッカーの何を見たか その1


 こうして日本サッカー始まって以来の大遠征は終わったが、我々はヨーロッパ・サッカーの中に何を見つけ、何を学んだか、収穫はあったのかなかったのか……それをこれからまとめようと思う。
 この遠征記の初めにも書いたように、遠征を締めくくる公式の報告書を作らなかったので遠征チームとしての見解は残っていない。したがって、特に断っていない限りは僕自身の意見である。しかも20年余の昔を思い出しての現在の意見となっては意味がないので、僕なりの報告として書いた当時の朝日新聞と朝日・スポーツの記事、残してあった遠征中の日記やノート類をひっぱり出して極力それらによることとした。だから現在の僕の考えと違っている点も当然にある。


芝生がほしい

 帰国の翌日だったか協会が催してくれた歓迎会の席で全員が簡単な感想を述べることになったのだが、その時選手諸君のほとんどが期せずして協会に希望したのは「芝生のサッカー場を作ってくれ」ということだった。「田舎の小さな町でもちょっとしたスタンド付きの専用サッカー場が完備している。グラウンドはもちろん芝生で、土のグラウンドもあるがせいぜいトレーニング用だ。きれいな芝生に五組も六組ものゴールが並んでいる風景を見付けるのも困難でなかった。芝生に恵まれないわれわれにとっては、思わず嘆声を発することも幾度かあった」(アサヒ・スポーツ)

 当時東京で公式試合ができた芝生のグラウンドは現在の国立競技場に改修される前の旧神宮競技場だけだった。関西でも西宮球技場か西京極競技場ぐらいではなかったろうか。
 選手はあんな芝生でいつもサッカーができたらもっとうまくなって見せると思ったに違いない。僕もそう思った。「ボールの不規則バウンドの心配はまず不要である。ボールをトラッピングするにしても公式通りのフォームでやっておれば一応間違いない。日本の選手もこれまでやれなかったプレーが意外に簡単にやれたりするが、平常不規則バウンドを心配しなければならないグラウンドで練習していたクセがつい出る。軽く足先で止めればよいところを無理に身体を使ってみたり、芝生には不必要な固苦しいプレーがやはり出てしまう。技術はグラウンドから意外に大きく影響されているかがはっきり判るのである(中略)欧州の立派なグラウンドを作らせ、立派なグラウンドがまたサッカーをますます発達させているといえよう」(アサヒ・スポーツ)


更衣室など

 グラウンドについてまず書いたからスタジアムの中の施設関係で教えられたことを先にまとめておこう。

▽ユーゴでの試合の日の日記に「更衣室と風呂、トイレ」として「両者は廊下に出ることなくドアだけで直接出入りできるように作られているのが、ドイツ以来見てきた普通の作り方だ。トイレは廊下に出るところもあったが風呂、シャワーはほとんど隣接している。素っ裸だから当然にそうすべきである。日本でままだそんな配慮がない。更衣室には必ずマッサージ用のベッドがある。さほど大きくなかったサウスォールでも2台あった。こんな点も大いに考えねばならない」とある。

▽ロンドンのアーセナル・スタジアムを訪れたときに「ハーフタイムにクラブ会員用の休憩室へ誘われ、サンドウィッチをつまみ、紅茶を飲む。会員らしき連中が談笑して酒など飲む」。また翌日全英大学選抜との試合をサウスォールで行ったあとには「試合後スタンドの中にある会員用集会室らしい部屋でパーティ。昨日のアーセナル・クラブといい、ここといい、いずれも会員社交の場を設けて、いかにもスポーツを楽しむ雰囲気を感じさせる」とこれも日記に書いている。
クラブ・スポーツの発達していない日本には見られないものだが「これが本来のスポーツのあり方か」とも思った。アーセナル・クラブでのようにハーフタイムまでそうしていられるのは15分近くも休むからだろうが、ハーフタイムが決して5分ではないこともこの遠征で初めて経験した。

▽立見席。これも初めて知ったのだが、どのスタジアムにもほとんどあった。だからそれほどに大きくないスタンドでも3万、4万と収容できることがわかった。オッフェンバッハキッカーズの新装なったスタジアムのバックスタンドはみな立見席だった。大方の立見席はゴール裏にあったが、アーセナルの場合はメインとバックのスタンドの最前部も立見席で、この場合は一段と低くなり、首を地表に出した形で見ていた。コンクリート階段の一段ごとの奥行きを3、4人前後に並べるように深くて、なだれ落ちるのを防ぐ鉄サクがところどころに設けてあるのが立見席の普通の構造だった。
 余談になるが、後日に神戸中央球技場をつくるときに、バックスタンドのあたりの地盤が悪いので大型のスタンドはつくれないというが、協会側は全体でせめて2万人ぐらいの収容力がほしかった。そこで立見席にしてはどうかとアドバイスしてそうなったのだが、日本には立見席の前例がなかったので、どうもいまだに立見席とはわからないで変な座席だぐらいに見られているらしい。このとき、更衣室と風呂、トイレの関係もアドバイスしたが採用されなかった。


フェアプレー

 ドルトムントでもロンドンでもベオグラードでも、いうなればどこへ行っても日本の試合態度はフェアでまじめだと好評を博した。
 ドルトムントでのドイツとの開幕試合についてはすでに触れたが、見知らぬドイツ人から「日本の立派な試合ぶりに敬意を表する」と手紙をもらったように、その試合態度があとで招待してくれたユーゴに好印象を与え、また日数に余裕なく実現はしなかったけれどもルクセンブルグからも熱心な招待を申し込まれるきっかけともなったのである。ロンドンでは商社の人から、まだ対日感情が悪いので観衆から不愉快な思いをさせられるかもしれないぞ、と言われたのに、「観衆は日本チームが好きになった」などと書いて新聞は誉めてくれた。  といって、われわれは特別にフェアを心掛けたわけではなかった。ただ事実は、いくら興奮しても、またいくらピンチを迎えても、我が学生選手は汚いファウルや喧嘩をしなかったし、審判に文句を言ったこともなかったのである。我々にはそれが当然だった。むしろメモに「その余裕なし」とあるように、そんなことができるほどにまだ場慣れもしていなかったというのが当たっていたかもしれない。

 だが「外国チームは相当に汚いこともやる。しかもゼスチュアが大層で芝居がかっているのに驚いた。危ないとみれば故意にファウルをやる場面も少くないし、審判にも食ってかかる。ドルトムントで3回の退場を見た。ルクセンブルグの選手が対ドイツ戦で審判に食ってかかって退場。次はスペイン対エジプトでエジプトが退場選手を出したのが響いて敗れた。決勝のユーゴ対スペインではあわや殴り合いとなりかけて両者1名ずつ仲良く退場させられた。技術が巧みなだけにファウルも巧妙で、ちょっと眼に付かない。足などけられると七転八倒、フィールド上を転げ回ったりする。濡れ手拭いを持ったトレーナーや選手、審判が集って手当てをする。と、1〜2分もすれば大抵はけろりと走り出す。日本だったら人事不省にでも陥った時にしか見ない騒ぎだ。こんな場面を普通に見ているのだから、確かに日本選手は忍耐強く立派に見えることだろう。英国の新聞記者が、日本選手はもう少し乱暴をやるほどでないといけないといったそうだ」(朝日新聞)

 このことについて僕はノートにこう書いている。
「決して真似をするな。まだ技術未熟の者が真似をしたら技術が伸びないだろう。また仕掛けられても仕返しするな。巻き込まれて結局損をするのは小さい者だ。しかし、ケガをしないように、それを防ぐ術は身につけておかねばなるまい」。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1976年2月10、25日号)

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