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サッカーの何を見たか その2


共通的印象

 我々の表向きの目標はドルトムントの大学スポーツ週間だったけれども、本当の使命はサッカーの新しい動向をつかむことだった。そのためにはどうしてもトップ・クラスのサッカーを見なければならない。ドイツではオッフェンバッハ、スウェーデンではユールゴルデン・アイコー混成チームとそれぞれ試合をしたほかに、スウェーデン、イギリス、ユーゴ、イタリアで1部リーグの試合を見ることができた。
 長い歴史の間でサッカーの本流と接する機会は極めて少なかったし予備知識も乏しかったのに、初めて経験したこの遠征での数試合で新しいサッカーの動向を語るのは危なっかしいかも知れないが、幸いにして大陸、北欧、英国、東欧、南欧というヨーロッパの代表的各地域のサッカーを観ることによって、僕はつぎのような共通した傾向をつかむことができた。
 それを朝日新聞の「学生サッカー欧州土産」の中にこう書いた。

「その攻撃ぶりを見ると相手のゴール前20メートル当たり、すなわちペナルティ・エリアの少し手前まで迫ることが攻撃の第一段階である。その次にシュートに移る相手ゴール前の最後の段階が来る。この2つの地域でのプレーには相当はっきりした相違がみられる。
 まず第1段階では確実にボールを味方に保持しながら次第に相手陣へ浸透して行くという感じである。速く前進するというよりもここでは確実主義なので、動きの方向も横あるいは斜めの動きが非常に多く、FW5人と2人のサイド・ハーフ(注:当時はWMフォーメーション)は盛んにポジションを移し相手の守備陣を惑わしながら少しのスキにも食入って行く。アイスホッケーのクリス・クロス、バスケットボールのローリングと同じような方法が織りまぜられる。パスは正確であり、各プレーヤーのボール扱い、キープ力はとりわけ巧妙でなければならない。この地域で相手に容易にボールを奪われることは味方の守備にとって非常に危険なのである。
 そうして目的のラインに達すると次はシュートの段階で、ここでは両翼が切込んだり、中央のものは素速く相手の裏をかいて飛出したりする鋭い動きが現れる。それに合せてギリギリの際どいパスを送る。うまく渡ればシュートでキーパーとの決戦となる。あるいはゴール前のヘディングでの決戦ということにもなる。第1段階のパス・ワークや動き、それからシュートへの移り変わりはバスケットの運びに似ている。

 日本の学生チームにみられるように、味方の陣内からただ縦へ縦への動きだけで相手ゴール前へ達しようとすることは、彼らの守備陣がはっきり攻撃側より少数の時でない限りほとんど不可能といってもよい」。


クローズアップされた中盤

 僕はまた同じ印象をアサヒ・スポーツ誌にこうも書いた。
「ペナルティ・エリアのラインあたりが攻守最後の決戦場である。FWはこのあたりでバックスを外せばあとはシュートに移るだけだ。そこでバックスもここでは必死にFWをマークする。パスも動きも一秒の何分の一かで成否が決まるギリギリ一杯のプレーが展開される。
 しかしここでFWが有利な態勢をとるためには準備工作が必要で、その準備工作として中盤戦が大切になってくる。攻撃から見ると中盤は攻撃の大切な第一段階で、最後のペナルティ・エリアの線に達するのが目的だから、この中盤は確実第一主義というか、余り無理をせず楽にボールを回す。しかし最後の段階で守備陣のマークに“ズレ”を生じさせるために中盤のパスは多彩を極め、ポジションの交代を織りまぜて左右にボールを激しく回し浸透していくという感じだ。この変化のあるプレーはペナルティ・エリアの付近、すなわち最後の決定的な動きに移る直前に最もめまぐるしくなってゆく。そうして相手を釣っては切り崩して生れるわずかの“スキ”に走り込んでシュートに移るわけだ」。

 もちろん各国のサッカーにはそれぞれのニュアンスがあった。いや、わずか1、2試合を見て「どの国のサッカーは……」などと簡単にいえるものではなく、そのニュアンスというのも各チームごとのものであったかも知れないけれども、とにかくけっして全く同じサッカーではない。英国で見たアーセナルとシェフィールド・ユナイテッドの試合は、他の国で見た試合の印象に比べると、大まかで単純なように感じた。ウイングを走らせようとするパス、ウイングからのセンタリングなどいわゆるロング・パスが比較的多いためだろう。
 その英国に似て体格が大きいスウェーデンのユールゴルデン対アイコーは、力強さでもアーセナル対シェフィールドに劣らないのだが、思いのほかに柔軟なプレーをもっているので、英国勢より近代化された感じだった。片やユーゴのレッドスターとスパルタクでは鋭いスピードと巧緻(こうち)が戦うサッカーを見たし、ドイツのオッフェンバッハの組織と堅実さに対し、イタリアのローマ対ジェノバでは個人技が強く表面に押し出されていた。

 しかし、こうした国ごとに、チームごとにニュアンスの違いはあっても、そこに共通した印象として残った前述のようなサッカーは、中盤戦がその存在価値を主張しているサッカーということができたろう。速攻がなくなったわけではないが、単純な運びで攻め込むことがむずかしくなって、ゴール前のシュート段階に到達するには手を変え品を変えての準備工作が必要になり、そこで多彩な技術が披露されるので、単純な攻撃に慣れていた我々にはことに印象深かった。  こうしたサッカーになってきた原因には、マン・ツー・マンのマーク力の進歩、フォーワードの相手バックスに対するつぶしの励行といったような守備力の強化も挙げられようが、もっとも大きな原因は、ボール・テクニックが進歩したことによってキープ力が強化され、ひとたびボールを奪うと容易に相手へ渡さなくなったこと、逆にいえばボールを相手にやってしまうと簡単に取り戻しにくくなったということではなかろうか。


安全なサッカーへ

 サッカーは相手ゴールを陥れねばならないが、そのためにはボールを味方で持っていなければならない。つまりボールを味方にキープすることは、サッカーでは何よりも有利な立場にあるわけで、ボールをキープしている限り得点のカギは味方にあって、失点の恐れはない。言葉をかえれば、ボールをキープしている限りは安全なのである。つまり、ただ前へ前へ、速く速くと急ぐ攻めはあっという間に得点が生まれる可能性もあるが、あっという間にボールを取られる率も高い。その危険を犯すよりも、安全なサッカーへ進んでいるというわけだ。その安全な方法で攻め手を探っている間が中盤戦なのである。
 とにかくこうしたサッカーが、正確で巧妙なボール扱いと変化に富んだパス・ワークや盛んなポジション・チェンジとが織りなす多彩な試合展開は、バスケットボールに似ていると思った。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1976年3月10日号)

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