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サッカーの何を見たか その4


サッカーのイメージを変えたバックスのプレー

 遠征に出るまでに、わずか2チームではあるがスウェーデンのヘルシング・ボリューとドイツのオッフェンバッハ・キッカーズの来日試合を見ていたので、欧州のサッカーについてある程度の予想はしていたが、それでも従来、日本で抱いていたサッカー像を大きく転換させられたものがいくつかあった。なかでもバックスのプレーはその最大のものだった。そこでは我々の頭の中にあったバックスとは異質のプレーが演じられていた。

▽浅いフルバック・ラインと機敏さ……アサヒ・スポーツ誌に当時こう書いた。
「守備では3人のFBラインが非常に浅い陣型を布くのが目立つ。両FBはぴたりと両ウイングにつく。CFをマークするとCHがむしろ一番後退気味なこともある。これはバックス、ことに両FBの勘、動き、身体のこなし、ボール扱いなどが非常に機敏であるから布き得る陣形である。
 一般にバックス・プレーヤーが機敏なことは日本のバックスと異り目立って印象に残ったことだった。ウイングなり、CFなりの細かい動きに対し、3FBが同じような細かい動きでくっついてくる。だから一つや二つの動きで簡単に振り切れない」

 当時はまだWMフォーメーションが向こうでも大勢を占めていた。わが国でも1936年のベルリン・オリンピック以来広く行き渡っていたから、WMフォーメーションそのものには少しも驚かなかった。だがそれでマン・ツー・マンになったといっても、FBに関する限りやはり2FBと同じ“つるべ動き”が必要だとして、ボールのない側のFBはウイングを離してやや深く中寄りのポジションをとるのを原則としていた。ボールのある側や中央を突破された場合に予め備えたカバー態勢だった。WMフォーメーションが生まれた英国の書物にもそう書いてあった。
 ところが実際に彼らのポジションを見たらカバーなど関知しないかのように反対側のFBも浅く張ってウイングにすぐ挑みかかれる位置を取っていた。我々から見ればバックス全体の守備体形としてはきわめて危険だとしてきたが、彼らは鋭い読みを伴った柔軟で機敏な動きができるのでそんな浅いラインをしけたのであろう。それはまたオフサイド・トラップをかけやすいので、相手フォワードの前進の頭を押さえる効果も持っていた。といって彼らは反対側や中央のカバーをしないわけではなく、危険とみればすばやくポジションをずらすけれど、常時ずらしたポジションにいて、そこから出発するのではなかった。

 僕はベルリン・オリンピックより2年前の1934年、中学4年生の時に、神戸に入港したイタリア軍艦クワルト号との試合で初めて3FBにぶつかり攻めあぐんだことを思い出した。何回かその背後を突こうとしてオフサイド・トラップにひっかかり、スルーパスがうまく通ったと思ったら、相手は素早く動いて先にボールへ寄ってしまうので、若い中学生はこれがWMフォーメーションの3FBとは知らず、ただどうしたものかと途方に暮れたのだった。そのあと間もなく3FBは日本でも一般化したけれども、いざ本場の3FBに当たってみて困却し、彼らを観戦して驚いたのはやはりその浅い3FBとそれを可能にしているバックスの柔軟な機敏性だった。

▽器用さ……また彼らは、日本のバックスにはない器用さ(巧妙なボール技術)をもっていた。これもまた前述の機敏さに優るとも劣らぬ驚きだった。
 こういっては悪いが、戦前からわが国では機敏だったり器用だったりするとおおむねフォワードに使われ、そんな選手が11人揃うはずがないから、バックスといえばいささか鈍重でボール扱いの不器用な選手でも、我慢しなければならないのが通り相場だった。そうして頑強に体を張って守り、奪ったボールは大きく前方へ蹴り返せばほぼ使命を果たしたものと一般的には評価されていた。
 しかし、そんなバックス観は一般レベルのチームでも、一日も早く変えなければいけないと思った。彼らはすでに、一流チームはもちろん、ドルトムントに集まった学生チームでも、そんなイメージのかけらもなく、フォワードに劣らず巧みに細かく柔らかくボールを扱って軽快機敏にプレーしていたのだった。
 日本のバックスならば、ボールのストップからして大まかだからしばし献上したし、自由に素早く扱えないからキープはおぼつかなくて早く蹴ることを考え、背後に飛来したボールなどは非常に苦手で、相手に詰められるとバック・パスをするかタッチへ蹴り出すかが精一杯の処理だった。だが彼らは背後にきたボールも楽にコントロールして慌てず、詰められても巧みにかわして安易にタッチへ蹴り出したりはしない。そうして個人のキープ力もチームのキープ力も優れているから、一度奪ったら簡単にまた奪い返されるようなミスはほとんどなかった。

▽攻撃はバックスで始まる……そうしてそのあとをアサヒ・スポーツでは「さらに彼らの攻撃の最初の第一歩はバックスにあることを述べねばならない」と書いた。
「味方の守備から攻撃に移るときにボールをただ前方のFWへ渡すだけでは攻撃を単調にし、またあとの攻め手を少なくすることなどから、味方のゴール前で奪い返した球はまずバックス同士のパスで始まることが多い。そのとき地域的によく利用される場所は相手のウイングの背後、相手インサイドの斜後方のタッチライン寄りの地域である。味方のフルバックかサイドハーフの前方で、そこへフルバックなりサイドハーフがぐんと進み出る。そこはフリーな地域になりがちだから、そこでゆっくりボールをキープして、次の攻撃態勢を判断するという具合である。攻撃側からみればFWの逆をつく地域となるので容易にカバーし難いところだ」

 パスで攻撃を始めるだけではなく、すぐれたドリブル技術も持っていた。目の前で妨害されなければどんどんドリブルした。前方の味方はその道をあける動きをする。FBがタッチ沿いにHBを超え、さらにFBの第一線をさえ超えてゴール・エリア近くまで攻め込む場面も見た。バックス同士のパスにしろ、このドリブルにしろ、バックスといえどもボール技術が巧妙だからできることで、わが国の技術水準では禁じられたプレーだった。

 学生チームの体験で、戦術的に非常に苦労したのは、巧みなボール技術を持ったバックスがこのように攻撃に参加してくるのをどうして抑えるかだった。
 まず自由なドリブルをさせないために、相手バックスがボールを持てばすぐ詰め寄れ、とフォワードに指示した。ボールを持っている相手へのチェックは、やる気さえあればできる。
 だから自由なドリブルはまず阻止できた。だが苦労した問題はそのあとだった。
 例えば相手のRBがボールを持った場合我がLWが急ぎチェックに行くと、ボールは横パスでさっとCHへ渡る。CHはこちらが何もしないと、ドリブルですいすいと出てくる。これはいけないとCHのチェックに向かうとボールはまたさっとLBへ横パスされる。いずれもこちらの出バナをタイミングよくかわしたパスなので、こちらは連続空回りだ。最初左サイドに焦点を合わしたバックスはあわてて右へ、全体の守りの向きを転換しなければならない。だがすでにLBはぐいぐいとドリブルして前述のタッチ沿いフリー地域を押し上げてくるといったあんばいで大いに苦しんだのである。
 とにかく、フォワードが守備をするということにはまだ慣れていなかった我が学生チームは、このバックスの巧みな攻撃参加に最後まで応対できなかったのだが、このようにバックスで攻撃が始まるヨーロッパのサッカーを見て、まだバックスは守りフォワードが攻める日本サッカーの遅れをしみじみと感じたのだった。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1976年4月10日号)

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