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サッカーの何を見たか その6


ボールと人の「横」の動きを生かす

 中盤の意味を切実に味わったのは、僕としてこの遠征に得た大きな成果だが、その中盤からゴール前の最終段階へと繰りひろげられる多彩な展開のなかに見られた巧妙なボール・テクニックもさることながら、同時に日本選手にはうまくやれなかった巧みなボールと人の動きを彼らは見せて、テクニックの効果を倍増しているのだった。
 それを一言でまとめれば「縦」に対する「横」の動きといえるだろう。
 一つは、実に簡単なことなのだが、味方がボールをキープしたら必ずすぐさまその横に寄ってやれということだった。彼らは、キープする者が前を抑えられてもすぐこの横に寄った者へ短いパスを渡して、一瞬封じ込められたかに見えた局面をただちに打開して、新しい展開へ楽々と移っていくのだった。
 前号に述べたバック同士の横パスもこの一種だが、そのときは守る立場からそれに悩まされた経験を書いたので、ここでは攻める立場から触れることになる。事実はとくに珍しくもない。ただ横へ寄ってやるだけの簡単なサポートだ。ところが何度もいうとおり、日本では性急なためか、パスをもらえる位置へ動けというとそのほとんどは前方の空白地帯を捜すから、どうも横に寄る動きが常識的動きとして身についていなかった。だが、彼らは日常茶飯の習慣のようにその一人が横へ動いていた。

 そこで僕は、ごく簡単な動きだから、すぐ真似すればよいと考えて「キープしている者が立往生したらすぐ横に寄ってやれ」と指示した。スウェーデンでアイコーとユールゴルデンの混成チームと試合したときには、とくに強く指示した。しかし結果が裏目に出てしまったことは昨年8月10日号のこの連載の10「スウェーデンその1 大敗の巻」に詳しく書いたように、こうした簡単なプレーでもなかなか容易なことでないことが分かった。
 裏目に出た原因を要約すると、一は横に寄るタイミングが悪い。多くは遅かったがやはり慣れていなかったためだろう。二は、彼らは当然に味方はそこへ寄っているに違いないと信じているように、その方向を見ないでもパスを渡すことができるのに、我が方は慣れていないから受ける方は声をかける、渡す方はその方向を見て確認してからパスすることになり、容易に見破られた。三は、もっとも重要なことだが、パスを受けた者が一つの動作での逆方向へ開いてボールをトラップできないという、ボール扱いの未熟さだった。こうしたことで、一人の立往生を助けに行ったはずの他の一人二人も、ともどもにその場に自滅する場面が出てくるのだった。(注:残念ながらこうしたプレーはいまだに上手でない)


空(から)動き  ユーゴでの試合を終えた日だったか翌日だったかに、同国のヘッドコーチがホテルへ訪ねてきた。うかつな話で名前を書き留めないで忘れてしまったが、多分そののちインドネシアだったか、ビルマだったかに招かれてナショナル・チームを指導したコーチではなかったかと思う。その人が日本学生チームについてあれこれとアドバイスしてくれた。大部分は僕もすでに気付いていることだったが、なかに一つ大変に参考になって、いまなおはっきり覚えていることがある。
 中盤でHB(例えばLH)がドリブルに出た場合、それより前方の日本選手は、ウィング(LW)もCFも、さらにインサイド(LI)までもみんな前へ前へと走り出すが、その結果はオフサイドになるか行き詰ってしまうかだ。
 そうした場合はこうすればよいのだ、と次のような図を書いて教えてくれた。

 その場合にまず問題はドリブルを始めたLHのすぐ前方にいるLIの動きだ。前進しても第一線にすぐ並んで行き詰るし、LHのドリブルを邪魔する。またじっと立っていると余計に邪魔だし、相手のRHがこのドリブルに立ち向かうこともできる。だからLIはタッチライン方向の外へ横に動くべきだという。そうすればRHもそれについて動くから、前方が開いてLHはどんどんドリブルできる。相手のRHはボールより外側に取り残されて、いわば試合からはずされた形になる。また相手のRHがLIを捨てて立ち向かってくれば、横へ開いたLIへ横パスを渡してかわせば次は違った展開へ移ることもできるという要旨だった。

 つまりこれは相手をつる空(から)動きともなれば、実際に横パスを使える動きともなるもので、彼らが多彩な攻撃を形成する過程ではこうした空動きが非常にたくさん織り込まれているのだった。元来、味方が動いたあとは大抵フリーなスペースになるはずなのだから、そこを遅れずに生かすということは当然に考えついていいはずである。僕の学生時代にも、そこへパスを放り込んで他の味方が同時に走り込む戦術から得点したことはあったが、それはフリーキックの場合とかあらかじめ決まった形で練習しておける場面で、中盤などで随時使えるほどではなかった。我が学生チームも同様で、中盤などで随時空動きを使えるほどではなかったし、横への動きもまだまだ下手だったから、ユーゴ・コーチのアドバイスのような動きを使えるようにしたかったが、あいにくユーゴでの試合が遠征の最終試合だったので、実現するチャンスがないままに終わったのは残念だった。


タックルはボール

 以上のような彼らと、我々との間に見られたボール・テクニックや動きの違いを挙げてゆくと、まだまだその例は尽きないだけでなく、またその練達度にこそ驚いたけれども、全く予想を絶した異質のプレーが行なわれていたわけでもないから、一応この程度で想像してもらえると思う。だからもう一つ我々の考えを改めなければならなかった点にだけ触れて各論を終わろうと思う。
 それはタックルのことだった。僕のメモから引用すると「タックル――ボールへ、正確に素早く」とか「体ごと止めよは通用しない」などと書いている。ボールも体も一緒に、といったふうな曖昧なタックル、たとえボールは抜けても相手の体だけでも止めておこうとするようなタックルが、我が国では通用していたが、ヨーロッパでは通用しなかった。
 なぜならばファウルを取られるからだった。だから彼らはボールへタックルしていた。巧妙な技で操作されるボールを、正確に捉えるタックルは鈍重なバックスにはなかなか容易な業ではない。すでに述べたように、バックスといえども機敏な彼らは、ライディングをしながら足首を利かせてボールを巧みに捕えたり蹴り出したりしていた。ピンチには体を止める式のタックルもやるけれども、それは反則覚悟のいわばずるい手段と見られた。タックルにおいても、新しいサッカーを表現する「ボールをプレーする」という考えがはっきりうかがえたわけである。

 もう一つ通用しないと考えた理由は日本選手の小さくて軽い体で相手の大きな体をつぶそうとしても無理で、つぶれるのはむしろ日本選手の方だからだった。しかし、ボールに向かってやれば、いくら相手が大男そうした被害を免れることができる。
 競技規則から生まれる新しいサッカーへの要請と日本人の体格という特殊条件から、このタックルという一つの個人プレーだけを通じても、日本のサッカーは大きくイメージ・チェンジをしなければならないと思った。日本は技術が下手だから体を張って戦え、と考えては遅れるばかりで、何はともあれ技と機敏さを使ったサッカーへ向かわねばならないという気がした。


Written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1976年5月10日)

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