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サッカーの何を見たか その7


子どものサッカーを

 遠征中どこへ行ってもどちらも向いてもサッカーに関する限りはうらやましいことばかりだった。立派な施設、それを埋める大観衆、そうしてそこに展開される巧妙なボールテクニックと激しい動きの試合――この人気と高いレベルの技術は互いに助け合ってヨーロッパのスポーツ界に不動の王城を築いていた。我々にとっては、いささか気が遠くなるような夢にも似てはいたが、我々はそれを学びにきたのだ。日本のサッカーはどうすればこのようなサッカーに近づくことができるか。
 何はともあれ、全員がうらやましいと思い我々が第一にやらねばならないと思ったのはボール扱いにうまくなることだった。ドリブル、キック、トラップ、ヘディング、パス……あれもこれも真似したいものは数限りなくあった。しかし個々のプレーをバラバラに学び取ろうとしても、成果は結局この遠征に参加したものだけにとどまるのではないか。それよりも、そうした課題を日本のサッカーの一般的な課題として解決するにはどうすればよいか、と考えたとき、出てきた答えの一つは「子どものときからサッカーをさせる」ことだった。

 帰国して朝日新聞に書いた「学生サッカー欧州土産」を僕は次のように締めくくった。
「日本選手に必要なものは弾力のある身体、力と柔らかさを兼ね備えた身体ということだろう。そうしてその身体でボールをまるで手で扱うように扱える足技を持っていなければならない。
 日本の大学選手が毎日練習しなければならないボール扱いは彼らにとってはすでに子どもの時に出来ているのである。どこへ行っても子どもがボールを持てばサッカーをして遊んでいる。道端で子どもがやっているのが実に上手である。自動車が来ても、ヘディングをしながらよけていくのを見て驚かされた。各クラブには必ず子どもの部がある。そうして彼らはチームに入るころにはすでに基礎のボール扱いが出来上っているのである」
 このように考えたのはおそらく僕だけではなく、竹腰さん以下全員が感じたであろう。戦前の日本の代表級選手の中にも、小学校からサッカーをやっていた選手が少なくなかったのと思い合わせて、僕は一層「子どもにやらせねば……」と思った(しかし現在の少年サッカースクールやスポーツ少年団の型でそれが実現しようとは当時思いつかなかった)。


科学的トレーニング

 もう一つ僕がこれからの日本サッカーにぜひともとり入れなければならないと思ったのは、当時すでに国際スポーツ界で広まっていた“科学的トレーニング”とか“近代的コーチ法”などと呼ばれた強化指導面の新しい考え方だった。
 僕はかねがね日本サッカーの一般的レベルを上げるためには、従来の練習法またはコーチ法ではだめだと考えていた。従来の指導者には、サッカーをきわめて深く知っている人がいたけれども、それを習得した過程ははなはだ個人的な特殊性が強く、またそれを広く伝える方法(コーチ法)を研究していなかったがために、教える事柄も教え方も自分の経験という特殊なワクを出なかった。
 つまり個性的な魅力には富んでいたが、逆に広い範囲にも通じる普遍性に欠けていたといえたであろう。また精神的には鍛錬主義というか、親切に教えて理解させようとするよりも、ハード・トレーニングで耐え、その中から選手が自ら感得した技でなければ役に立たないとして、ひたすら苦労を要求する傾向が強かった。総じていえば、“職人的指導法”で、今後はもう通用しないやり方だと僕は考えていた。

 確かオッフェンバッハでオスワルト監督から指導を受けたあとだった。ある夜、ビヤホールの席で、たまたまその指導法が話題となって、竹腰、松丸の両先輩と僕の意見が分かれて議論したことがあった。オスワルトのやった練習を「どれも我々がやってきたことだ。特にめずらしく、学ぶべき練習法ではない」と先輩はいう。僕は、「いや、同じことをやっていても意味が違う」と反発する。 「同じ人間が考えることだから練習の形はそう違うはずはなかろうが、これからの練習は量よりも質が問題だ。ハード・トレーニングが不必要なわけではないが、個々の体力差や技術差を考えると、その方法も一律であってはならないはずだ。そうするために彼らは運動力学や医学、生理学、心理学にも及ぶ知識をコーチに習得させて科学的な裏付けのある練習をやらせている。だから同じ技能の習得を目指した練習でも年齢差、個人差また上達過程やシーズン中の時期のちがいなどに応じた練習方法が組める。だが日本での指導は、指導者自身の個人的経験を相手構わずたたき込もうとするにすぎない。だから同じ形の練習をしても効果がちがう。彼らのほうがずっと合理的だ。これからは合理的でないと納得されない」と僕はいい張った。
「近ごろはすぐ合理的というが、できるだけ労力を省こうという考えでは強い選手は生まれない」と先輩はいう。
 僕はまた「合理的というのは楽をして上手くなろうと考えるのではない。同じ練習をやっても、より高い効果を上げようということだ」と反撃する。
「国際試合というものは体力的にも技術的のもギリギリの限界の、緊張し切った状態で戦い抜かねばならない。そこで役に立つのは、激しい練磨の中を耐え抜いて自分で道を開いてきたやつだ」と先輩はなかなか頑固だ。
「国際試合をやる代表級ならば確かにそうした選手が必要だろう。それは私も認める。しかし私が問題にしているのは、そうしたごくトップの選手のレベルを直接に引き上げようとするのではなくて、一般的レベルを上げるための指導法なのだ。それはもっと合理的に教えねばならない。いままでのやり方では、非常に少数の者しか生き残れない。その連中は高いレベルに至るかもしれないが、大多数の者はついてゆけず、途中で体力的に脱落したり、サッカーへの興味を早々と失って去ってゆくという結果を招いている。だから一般レベルがきわめて低いのだ。一般レベルが30点や40点で80点以上の選手が多数出てくることを期待しても無理だ。だからもっと理にかなった親切な指導をして一般レベルを60点から65点ぐらいにあげたら、あとは選手自身でやれといっても、よし、やってやるぞと80点や90点を目指す選手は増えるに違いない。幼児のうちから鍛錬だけではそうは厚くならない」と僕も自説を曲げなかった。

 この論争をかいつまむと、両先輩は「従来の教え方で何も間違ってはいない。問題は選手の心構えだ」というのに対して、僕は「教え方に問題がある。もっと広い分野の知識を使った新しいコーチ法を導入して、一般レベルを上げることが先決問題だ」としたのである。  この論議はその後も協会内では容易に決着しなかったが、クラーマーさんがやってきて僕のいう先決問題は自然に解決の方向へ向かった。しかしその後の段階――つまり代表クラスの問題になるといまだにご覧のとおりである。ものごとには両面がある。その両面を同時に解決するということは難しいことだといまさらながら思っている。
 なおつけ加えておくが、クラーマーさんが来て広がったペンデルボールを使った練習は、実はこの遠征ですでに覚えたものだった。オッフェンバッハのオスワルト監督がその使い方を実地に教えてくれたのが最初で、その後各地でその施設を見た。そうして帰国した選手が母校に導入して数校で使っていたのを知ったが、数年でその多くは消えていったようだ。
 それからクラーマーさんがまた使って、まるで新知識のようにもてはやされたけれども、それにまた近ごろはさして広がってはいないようだ。少年スクールなどには非常に使いでがあるはずだけれども、あまり利用されていないらしい。

(おわり)


Written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1976年5月25日)

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