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ウェイン・ルーニー(8)2006年ワールドカップ。20歳のエースは負傷と退場、不備のうちに終わる


 この「ストライカーの記憶」の連載企画のスタートは2007年3月だから、今年で3年になる。すでに鬼籍に入ったフェレンツ・プスカシュ(ハンガリー代表、レアル・マドリード)や、最高のボレーシュートを演じたマルコ・ファンバステン(オランダ代表、ACミラン)など古今東西のゴールハンターの中から私の心に残る名手たちを紹介しているが、ここしばらくは、いまマンチェスター・ユナイテッドで活躍中のウェイン・ルーニー(イングランド代表)のシリーズ。

 前号は誌面の都合で休載し、3月9日号の後を受けて8回目となる。マンチェスター・Uでゴールを重ねた彼が2006年ワールドカップに出場するところで、前回ではグループステージ突破から準々決勝進出を駆け足でたどった。これをもう少し詳しく見ると――。
 05−06シーズンの急速なルーニーの成長はワールドカップ・ドイツ大会でのイングランドの上位進出の期待の声を高めたが、大会の6週間前、4月29日のプレミアリーグ第36節の対チェルシー(アウェー)で彼は足の骨折という不運に遭う。
 6月10日、フランクフルトでの大会第1戦にルーニーは欠場。ラインアップはGKがポール・ロビンソン、DFの中央はリオ・ファーディナンドとジョン・テリー、右がガリー・ネビル、左がアシュリー・コール、MFは右にデビッド・ベッカム(キャプテン)左にジョー・コール、センターがスティーブン・ジェラードとフランク・ランパード、2トップが長身のピーター・クラウチとマイケル・オーウェンだった。
 オーウェンとルーニーをうまく組み合わせたいというスベン・ヨラン・エリクソン監督の狙いは、ルーニーのケガで狂ってしまう。イングランド代表はパラグアイの攻めに、ときにヒヤリとしつつ、ベッカムの早いクロスからオウンゴールが生まれて、勝点3を得た。

 6月15日のニュルンベルクでの第2戦にルーニーが後半13分から出場(オーウェンと交代)得点はなかったが、チームに活気をもたらした。イングランドは83分にベッカムのクロスをクラウチがヘディングで決め、タイムアップ直前にジェラードが中距離シュートを叩き込んで2−0とした。

 第3戦は対スウェーデン、会場はケルンだった。ルーニーはキックオフから出場し、オーウェンと2トップを組む。しかし、開始後4分でオーウェンが負傷してピッチを去り、クラウチに代わった。51分にジョー・コールの素晴らしいボレーシュートがゴール右上隅に決まってリードしたが、後半にスウェーデンの勢いが強まり、CKから同点、ジェラードのシュートで85分にイングランドが再びリードすると、タイムアップ直前にヘンリク・ラーションがやはりCKからゴール前のこぼれ球を押し込んで、結局2−2となった。
 ルーニーは後半に疲れが出てジェラードと代わったが、キラリと輝く場面もあった。一つはベッカムからの長いパスを受けて、2人のDFをかわしてシュートまで持っていったもの。また、巧みな動きでパスをもらい、ランパードにパスを送ってシュートチャンスをつくったこともあった。激しいが、いささか大味な試合の中で光る良質のプレーだった。

 ノックアウトシステムの第2ラウンドに入り、最初の相手はエクアドル、ベッカムのFKで1−0で勝った。彼の本領ともいうべき一蹴りだった。ルーニーは4月の骨折以来初めての90分フル出場、回復ぶりをアピールした。
 準々決勝の相手は強敵ポルトガル、マンチェスター・Uの仲間、クリスチアーノ・ロナウドや大ベテラン、ルイス・フィーゴのチームとの7月1日の戦いは、ボールキープに優れたポルトガルの攻勢を防いで攻撃に出るイングランド、という形になり、まことに壮絶だったが、ベッカムが52分に足を痛めてアーロン・レノンに代わり、62分にルーニーがレッドカードで退場となった。
 ボールの奪い合いでリカルド・カルバーリョを踏んずけたという判定だった。倒れた相手の足が絡んだ程度に見えたのだが……。ルーニーには不本意な処分で、イングランドは10人となり、延長の30分を含め0−0。PK戦で敗れてしまった。

 20歳の伸び盛りに臨んだ初めてのワールドカップへの挑戦は古いものとなったが、以来4年、今年のルーニーの好調ぶりは目を見張るものがある。
 プレミアリーグでも2月28日現在で23ゴール(27試合)で得点王争いのトップに立っている。南アフリカでの捲土重来のためにも20歳からの4年間の成長の跡をいましばらく眺めることにしたい。


(週刊サッカーマガジン 2010年3月23日号)

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