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ウェイン・ルーニー(12)初舞台のハットトリックから6年、2度目のチャンピオンズリーグ制覇へ


 それぞれの代表チームの強さを見るのは、欧州チャンピオンズリーグに、その国から、どれだけの選手が送り込まれ、働いているのかを見るのが目安となる――と、ドイツ代表のヨアヒム・レーブが言っている。
 そのチャンピオンズリーグ2009−10シーズン準々決勝が、3月30、31日と、4月6、7日に組まれている。CSKAモスクワの本田圭佑がインテルと戦うから、日本でも関心はさらに強まるだろう。
 もちろん、リヨン対ボルドーのフランス勢同士も、バイエルン・ミュンヘン対マンチェスター・ユナイテッドも、アーセナル対バルセロナも興味いっぱいのカード、CSKAがもしインテルに勝てば、次はバルサかアーセナルとなるのだが……。

 ここではちょっと横道にそれて、本田のCSKAでの進歩から、私は40余年前を思い出している。
 アマチュアであったが、日本のフル代表が世界の舞台で唯一のメダルを獲得した1968年のメキシコ・オリンピックは、日本サッカーの総力を挙げた準備の成功だが、釜本邦茂がその年の冬にドイツ留学してユップ・デアバルコーチのマンツーマン指導を受けてステップアップしたことも大きい。
 その釜本のドイツ留学をJFAが発表したのだが、67年12月、折から来日中のCSKAモスクワの大阪での試合の前日だった。当時の日本には、日ソ交流は大切な強化策の一つで、CSKAはそのとき、チェコのデュクラ・プラハ(67年チャンピオンズカップ・ベスト4)と日本代表との3チーム対抗を行なったのだった。
 そのCSKAで42年後の今、本田圭佑が腕を上げ、ワールドカップの本番を目指す日本代表の戦力として、期待が高まっているところに不思議な縁を感じている。

 当時のチャンピオンズカップは今、チャンピオンズリーグと名を変え、ヨーロッパナンバーワンを決めるだけでなく、最も華やかなクラブの国際舞台として世界中の注目を集めているが、この連載の主人公であるウェイン・ルーニーも、エバートンからマンチェスター・Uに移るとき、魅力的な報酬と同時に、チャンピオンズリーグのような国際的な試合を定期的に経験できるのが、大きな理由の一つだった。
 そのルーニーのチャンピオンズリーグへの挑戦は今度が6回目、04−05シーズンはグループリーグを突破してノックアウトラウンド1回戦(16チーム)でミランに敗れ、2年目(05−06)はグループDで最下位。3年目(06−07)はグループFでは1位となり、準決勝まで勝ち上がったが、ここでまたまたミランに敗れてしまった。
 彼にとっての4回目の挑戦、07−08シーズンは、グループFで首位。準決勝まで進んで、バルセロナを退け、決勝ではチェルシーと1−1の後、PK戦で勝って優勝した。ルーニーはこの試合の101分でナニと交代し、PK戦には出なかったが、初のタイトルをクリスチアーノ・ロナウドやカルロス・テベスらの若い仲間、ライアン・ギッグスやポール・スコールズたちベテランとともに喜びあった。

 マンチェスター・Uにとっては99年にバルセロナで、バイエルン・ミュンヘンに劇的な大逆転で勝って以来9年ぶり、1968年のチャンピオンズカップ制覇以来3度目の欧州一だった。このチームがその年の暮れに横浜でのトヨタ・プレゼンツFIFAクラブワールドカップを制したのは、私たちの記憶に新しい(この連載の1、2で紹介)。

 今季のルーニーはすでにリーグで26得点を記録して、リーグ4連覇を狙うチームの攻撃の中心となっている。長い間ゴールを奪えなかった難敵リバプールからもゴールしているが、チャンピオンズリーグでも2月16日に天敵ともいうべきミランをアウェーで3−2で破り、3月10日オールドトラフォードで4−0で勝った。第1戦でルーニーは2ゴール、第2戦でも2ゴールした。
 先制して、攻めに出てくる相手をカウンターで叩くという、マンチェスター・Uとルーニーの得意ワザが効いて、ゴールを奪う彼のプレーに、私はマンチェスター・Uに移った年の、初めてのチャンピオンズリーグ、対フェネルバフチェ(トルコ)戦でいきなり彼が3ゴールして周囲を驚かせたのを思い出した。ルート・ファンニステルローイからのパスを左斜めに走り込んで左足でシュート決めた。この檜舞台の初ゴールを記録した若者が、今年24歳を迎えて、いよいよ二度目の欧州タイトルに向かっている。
 その記録の積み重ねとともに、才能の伸びはどこまでなのか、成長期から充実期へ向かうルーニーを見る楽しみは尽きることはない。


(週刊サッカーマガジン 2010年4月20日号)

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