賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >実戦的ストップについて

実戦的ストップについて


ストップとは……

 いまここでストップと呼ぶが、ただボールを止めるだけの動作でなく、もう少し広く解釈して、飛んできたり転がってきたボールを受けて自分のボールにするプレーを指すと考えてもらいたい。ボール・コントロールという言葉があるが、それを使えばボールを自分のコントロール下に入れるプレーともいえるだろう。
 またトラップという言葉がある。これは「ワナを掛ける」の意味だから、足と地面の間に挟むようにしてボールを止めることだとどこかに書いてあったが、私は敵に取られないようなところにボールを止める、すなわち敵をワナに掛けるような止め方をいうのだと解釈していた。
 そんな食い違いもあるので、ここではストップと呼ぶことにしたのだが、要するに呼び方はさほど問題ではない。それよりもこの場合に重要なのは、いまここでストップと呼んでも、ボールを受け止めさえすればその意味が消滅するプレーをいっているのではなく、必ずそのあとには敵の妨害の中でドリブル、パス、シュートなどの何らかの他のプレーへつながってはじめてその役目を果たしたことになるプレーとしてのストップ、つまり実戦的ストップをいっているのだということである。そうした意味で、近ごろの一般レベルでの試合に見られるストップの問題を拾ってみようと思う。


ストップは実戦的に身につけよう

 いまは一般的にボールを扱う技術が年々上手くなってゆくように見えるのに、実際の試合ではそれが意外に生きていないという不思議な例が少なくないが、ストップもその一例であろう。
 外国の一流チームがやってきたらすぐ分かるように、彼らがひとたびボールを持つとその攻撃が一つのリズムを作って流れのように相当長い間継続的に展開するのに、日本チームの場合は代表チームですら、そうした継続的な流れがなかなか生まれない。その原因はといえばパスの不正確さ、ドリブルの未熟さなど色々あるが、ストップもまたその一つになっている。

 ストップは既に述べたようにそれ自身で完結するプレーでなく、あとに続くプレーへの継ぎ目となって、続くプレーをうまくスタートさせてこそ意義があるうえに、試合中ではキックの次に使われる回数が多いプレーである。そうしたプレーのストップがぎくしゃくしてくると当然に試合はぎくしゃくしてくるし、そこで失敗が多いと、当然に試合は途切れ途切れになってしまうばかりか、次のプレーもうまく運ばなくなる。
 なんとか味方ボールが続いても、ぎくしゃくしてスムーズな流れにならないのは、ボールを止めるプレーと次に続く他のプレーとの間に区切りができて、はっきり二つのプレーとなるからである。
 要するに、実戦的ストップとは、次のプレーへスムーズにつながり、一連のプレーとしていつの間にか次のプレーが始まっていなければならないのに、「はい止めました。では次のプレーを始めます」ではそうならないのである。二つに分かれると間に止まりが入り、タイミングが遅れる。そこで展開の流れはせき止められるだけでなく、敵はあとの守りがやさしくなる。次にドリブルに移る場合などは、二つのプレーに分かれて止まりが入ったがためのあとへ悪い影響が特によく分かる。

 実戦的プレーとは常に敵が妨害しようとしている中で自分の技術の効果を十分に発揮できるプレーだともいえる。ストップについていえば、そこで体も止まってしまうと、ストップはそれで完結してつなぎの効果は生まれてこないばかりか、敵はタックルしやすくなるし、こちらの意図が見抜きやすくなるし、さらに当面の敵だけでなく他の敵全体も守りやすくなるというマイナス効果を広く生むのである。
 ボールを持っているものが動くと、ただそれだけで他の10人との関係は刻々に変化するのだから、守る側から見れば自分のマーク相手がたとえ動かなくても自分はマークする位置は変えねばならなくなる。また同じボールのキープでも、動かないでキープしているときより、ドリブルしながらキープしている方が次のプレーへの意図は見抜きにくくなるという効果もある。つまりボールを受ける者が同時に動くことは、つぶしに来る当面の敵をかわすために必要なだけでなく、そのあとによい効果を残すのである。
 その簡単な分かりやすい例は、攻撃に出ようとする側のフルバック同士が、自陣の中ほどで広い中盤を前にしながら、攻め口を探すように横パスをかわす場面だ。ただ突っ立ったままパスを受け渡し、止まったまま敵状を眺めているのをよく見るが、あれでは敵は怖くないから守備態勢はそのままで動く必要もない。あのときパスを受ける者が少しでも前進しながらボールをもらうと、必ず敵は守りを変えねばならなくなり、かえって攻め口が見つかるものなのである。


対敵動作では周囲をよく見よ

 ボールを動きながらストップするだけでなく、それ以前にまずボールをもらおうと思えばボールを迎えに行かねばならない。待っていては敵に先を取られる。分かり切ったことだが、迎えにいかない場面を相変わらずよく見る。ボールを止めると必ず体も止まる者と迎えにいかない者とはどうも関連があるように思う。
 ところで動きながらのストップのうちで最も難しいのは後方からボールをもらう場合だ。迎えに行って180度反転して素早く前へ向かう体勢に移らねばならないから、体の回転とそれに伴うボール操作の技術だけでも難しい。さらにそこへ敵が背後からマークしてくるといっそう難しくなる。

 この場合の悪い例はこうだ。まず必ずボールはボールが来た方向にしか止めない。そして敵が来なければ初めて向き直り、それから改めて敵状を見て次のプレーを考える。例え敵がすぐタックルに来なくても、もうこれだけでスムーズなつなぎではなくなり、往々にして攻撃の流れはタイミングを失って狂ってくる。
 また敵がぴったりマークしてくると、前へ向き直れなくてボールを後ろへ止めたままで後退しはじめる。その後退からどこかで横へ逃げるなり、パスで局面を他へ振りかえることができればまだ救われるのだけれども、後退がいつまでも続き、ついにどうしようもなくバック・パスとなる。こうなってしまうのは最も悪い例だが、決して珍しい場面でもないのだ。

 こうした結果に陥る場合には、ボールを止めながらスムーズに向き直れない技術的未熟によるものもある。それならばもちろん、みっちり敵なしの練習から積み上げ直すしか方法はない。
 しかし敵がいないとうまく向き直れる技術があるのに、敵が来ると向き直れなくなる場合の方が多いのではなかろうか。そのときの最大の原因は、事前に周囲を十分見ていないことだと思う。周りを見る初めはまず当面の敵を見ることだが、それを見ないと、どちらからチェックに来るか分からないからどちらへかわせばよいのかの判断がつかない。判断がつかないと不安になる。不安になると自分が持っている技術への自信も失う。だからいっそうどうしようもなくなり、せいぜいボールと敵との間に体を入れて頑張るしかやりようがなくなる。
 逆に敵も味方も含めて周囲の動きをあらかじめよく見ておくと、ストップのあとはパスにしようかドリブルにしようかなどの選択が決まってくる。もしドリブルと決まれば、あとは当面の敵の出方をもう一度見る。すると右へかわそうか左へかわそうかの準備ができる。こうして敵を観察しさらに周囲の状況をつかめば、気分的にも余裕が生まれて技術もフルに出せる。
 周囲を見るためには、ただ終始ボールだけを見てボールに駆け寄らないで、そのときどきに工夫が必要だけれども、とにかくボールを扱う前にできるだけ敵とその周辺をちらりちらりと見ると敵はおおいに神経を使うに違いない。それだけでも逆に敵に不安感を抱かせる効果があるのだ。

 といった具合で、周囲をよく見れば見るほど次に打つ手が考えやすくなるのだから、試合中のプレーは周囲を見ることから始まるといってもよいし、実戦的プレーの鍵は周囲を見るか否かにあるといってもよいだろうと思う。
 周囲をよく見て動きながらのストップをすることは、頭で理解するよりもむしろ習慣か癖のように身につけておくのがよい。そのためには回数を重ねるしかないが、やさしい場面から始めてまずそこで習慣づけることだ。なぜならば、やさしいことはついきっちりとやらないでごまかしも効きやすい。しかしそこで無意識にいつでもきっちりするようにしておくのが大切なのだ。
 ストップでいえば、前方(敵側)から来たボールをまた前方(敵側)へ持ってゆくやさしいストップだ。ただしそのときも敵が来ることを想定して、まったく同じ方向へ戻さないで、まずボールを迎えに行き、その動きのままで右へストップしたり、左へストップしたりと方向をいつも少し変えるというごく原始的な練習から回を重ねるようにしてはどうかと考えるのである。


written by 大谷四郎
(サッカーマガジン 1978年2月10、25日合併号)

↑ このページの先頭に戻る